「ここに、行政特区日本を宣言します」

 わあっ、と歓声が上がる。耳につけたままの通信機から、誰かの拍手と誰かの舌打ちが聞こえる。民衆も見える範囲は大喝采だが、この区の外では複雑な想いだろう。一部は、この区の中でも。ちらと隣の二人に目を向けると、ひとりは少しばかり切なげで、もうひとりは普段通りの無表情で、沸く民衆を見つめていた。
 特区日本――日本がその名を失い、植民地と化した現状で、日本人として過ごすことを許される地域。限定的なものであれ、戸籍と人権を取り戻せる場所。この区域の中でだけは自由で平等である、……ということになっている。実際、結局のところは囲われた場所での自由であり、状況としては養殖漁業から栽培漁業になったようなものだ。おさかなさんとしてはどっちが望ましいですかなんて、食い物にされていることには変わりがない。日本全体は植民地のまま、エリアイレブンもブリタニアの支配も健在だ。解放と独立、日本を取り戻すことを目指してきた黒の騎士団としては、賛成はもちろん反対も大きくあったのだけれど――最終的にはリーダー、ゼロの決断に従った。それでよかったのだろう、本当に意見が真っ二つになってしまって、とても決着がつきそうになかったから。
 私はどちら派だったかというと、どちらにも決めかねていたわけだが。

(それでも、こうして喜ぶ人達を見ていると、これでよかったんだと思える)

 誰もに戦う手段があるわけじゃない。腕や足を失って、満足に治療も受けられなかった人もいる。無意味に虐げられることもない地域――の、はずだ――で、たとえ作り物であろうと、平穏の恩恵を一番受けられるのは女や子供だ。見れば少数ではあるものの褐色や金髪など明らかに外国の血の入っている姿もあり、きっと誰もにそれぞれ事情があるのだろう。……ここが彼らの拠り所となるといい。悲しみを、乗り越えていける場所になるといい。あの二人のもとでならきっと可能だ。
 拍手と喝采を浴びる二人の背中を見つめる。ブリタニア皇女にしてエリアイレブン総督、そして特区日本の立案者となったユーフェミア皇女。その隣には、大型レジスタンス組織のリーダーでありながら日本側の代表として決断を下した、ゼロ。よくまあ顔も名前も出さずにここまで話を運べたものだ。ユーフェミア皇女は、もしかしたらご存知なのかもしれないが。

(ご存知でないにしても兄妹の立場でいらしたわけだし、なんとなく察していることはあるのかもしれない)

 あの二人の間に、言葉少ないながらも時折感じる慣れや信頼のようなものは、そういう理由があるのかもしれない。
 ちなみにその雰囲気に気付いているのは私や彼の親友兼部下を除けばカレンくらいだが、少しばかり気に入らなそうにしている。部下心か乙女心なのかは、なんとなく藪蛇な気がするのでつつかないけれど。
 ぼんやりそんなことを考えていると、通信機の向こうが騒がしくなり始めた。日本人相手に威圧感を与えにくいという理由で誘導は黒の騎士団が担当しているが、これだけの人出だ。身動きが取れなくなっているのかもしれない。

「ねえ、私ちょっと誘導手伝ってくる」
「ここに居なくていいのか?」
「ゼロの護衛は君ら二人で充分でしょ。頼んだよ右腕と左腕」

 ゼロの両翼、赤と青の二人が揃っているのだ。この二人に防げない危機なら私がいたところでどうしようもない。
 その呼び名を気に入っているらしい彼らは目を見合わせ、彼は控えめに、彼女は明るく笑って任されてくれた。

(特区日本は成った――忙しいのはこれからだけど。でも、本当によかった)

 舞台袖を挟んで反対側、ユーフェミア皇女の騎士として列席している枢木スザクからの視線を感じ、会場の出入り口がごちゃついているのを指し示して首だけで合図する。それでなんとなく事情を察したらしく頷かれ、他の人には見えないように手を振って引っ込んだ。

(……だいぶ慣れてくれたな)

 生徒会の仲間でもなくルルーシュの同居人としてでもなく、黒の騎士団の一員として顔を合わせたときは、さすがに驚いた様子だったけれど。
 思い出して、小さく笑う。色々あった、現在進行形でもあるけれど、同じ特区日本を志す者として同盟相手になった今は納得というかひとまず置いてくれたらしい。これも喜ばしいことだ。私にとっても、ルルーシュにとっても。きっと枢木くんにとってもだ。
 よかった――けれど、と、楔を打つように降り注いでくる思いがある。よかった、けれど、……本当に?

(……なに考えてんだ)

 よかったに決まっている。特区日本は成った、考えうる限り一番平和的で穏やかで、厳しいけれど諦めずにいられる、そんな状況を手に入れた。黒の組織は今はまだ日本人の心の支えとして、特区日本での雑務や現場担当として必要だけれど、徐々にほどけるように消えていくだろう。カレンは母とともに日本人を名乗れるようになる。ルルーシュやナナリーは日本にいながらにして、かつての婚約者や姉の傍にいられる。私の道は決まっていないけれど、この地域のために働くのもいい。そうしていくうちに、アッシュフォード家に恩返しをできる機会も来るだろう。これでよかった――これで――
 ルルーシュは、死なずに済んだ。

「……」

 足が、止まっていた。
 今、私は何を思ったんだ。
 死ぬ? ルルーシュが? あの殺しても死ななそうな男が? 死ぬ道があったとでも? そんなわけがないだろう。右腕の彼女がいて左腕の彼がいて、私がいる。それに緑の髪の魔女、幼くも聡明な婚約者候補、黒の騎士団の部下達。学園の仲間達。愛しい妹。彼には仲間と大切なものが揃っている。環境が、彼自身が、彼に死ぬことを許すはずがない。

(……いいことが続いたから……あまりにも、都合がいい状況にいるから、却って悪いことを考えちゃってるんだ。きっとそうだ)

 そうだ。あまりにも運が良すぎた。ご都合主義だと笑ってしまえるくらいに。でも、それが、どうしていけない。何が不自然だっていうんだ。ある夜ふっと消えて戻ってきたルルーシュはなんだか泣きそうで、でも清々しく笑っていて、何も聞くことができなかった。翌日、黒の騎士団として特区日本に協力する旨を皆の前で聞いて初めて事情を察した。なにかが、あまり人に言うようなことではないなにかが、ユーフェミア皇女とルルーシュの間であったのだ。清く正しく美しく、それでいて貫くような強さを持ったお姫様の、ルルーシュが受け入れたくなるような、なにかが。お花畑の思考だと哂われた『特区日本』に、全力を尽くそうと断言してしまえるようなことが。
 以降は早かった。特区日本の設立とこの日に向け、黒の騎士団とユーフェミア皇女の近衛兵が顔を合わせた。互いに恨みつらみも抱きながら、それぞれの信念のために赦し合うことを決めた。少なくともそう尽力することにした。もちろん反発はあった、未だにある、けれど抑えてこられた。彼がいて、カレンがいて、私がいて、ゼロがいて、C.C.がいて、扇さんがいて、玉城さんがいて、きっと誰が欠けても成せなかった。――そうして迎えた、この日。

 つごうが、よすぎるのではないか。

 また何か発表されたのか、わあっと盛り上がる声が響いた。
 地響きにも似たそれが、足の裏を伝ってくる。縁起でもないことを考えていないで、さっさと誘導の列に加わらなければ。首を振って前へ進もうとしたところ、いつからそこにいたのか、暗がりに人影が見えた。

「? 誰…… きみ、どうしたの」

 幼い、男の子のようだった。浮かび上がるような白い足が、随分細い。それに誰かを思い出したような気がしながらも、迷子かな、と尋ねる。少年は答えない。

「だめだよ、こんなところ入ってきたら。部外者立ち入り禁止だからね、迷ったんなら出口まで案内」

 するから。と、言ったはずだけれど、それは吸い込まれるように消えてしまった。
 顎の下に、さらりとしたものが――少年の、髪が触れた。小さな頭が至近距離にある。音もなく、気配もなく、滑り込むように懐に入り込んだ少年の。その細い肩を反射的に支えようとして、けれどその手が届く前に彼が離れた。途端、みぞおちが燃え上がるように熱く痛む。

「っ……」

 ずる、と糸を引くような水音が、やけに生々しい。その場に倒れ伏した肉体に、歓声が振動となって響く。ばたばたと顔のすぐそばで重い液体の音がした。鉄のにおい。血の。
 ばんざい。ばんざい。ユーフェミア皇女ばんざい。特区日本。特区日本。ゼロ。黒の騎士団。ゼロ。ブリタニアのくそったれ。ゼロ。信じてた。ありがとう。ゼロ。悪逆皇帝に鉄槌を。

(……悪逆……皇帝……?)

 誰のことだ。なんのことだ。彼らは何を讃えているんだ。
 いや、それより、刺された? 刺されたよな今。なんで。どうして。恨みは――まあ黒の騎士団だし、そこそこ買ってはいるだろうけど――それほど目立っている方ではないはずだ、カレンや彼に比べれば。いや、この子はこの後どうする気だ、こんな子供に何をさせる気だ。日本側が、黒の騎士団側が狙いなら、ここで行かせるわけにはいかない。
 訳が分からないながらも少年を止めるつもりで視線を上げるが、想像に反して彼はその場に立ち尽くしていた。表舞台の、ゼロやユーフェミア皇女が居る方向を目指す気配は無い。まるで私が目当てだったみたいに、じっと立ち尽くして、その両目で私を見下ろしている。

「……、ル る、しゅ、」

 どうして、そう思ったんだろう。
 剥ぎ取られるようにして、意識が黒く塗りつぶされた。


 地面が揺れるほどの歓声が続いている。
 ゼロ。ありがとう。ゼロ。ざまあみろ悪逆皇帝。虐殺皇女。終わったんだ、悲劇は、悪夢は、終わったんだ。
 喜びのニュースを告げるスピーカーの音が割れる。誰かが泣いている。誰かが喜んでいる。誰かが抱き合っている。今まさに、見世物にされながら処刑場へ運ばれていた少女が――ナナリーが――刺され、倒れ伏した悪逆皇帝、かつての兄の亡骸に泣き伏せる。誰もそれに気付かない。少女の慟哭が民衆の歓声に掻き消される。そうしてそのずっと上、ただひとり、空になった玉座の前に佇む――立ち尽くしている、ゼロ。仮面の男。その素顔を、誰も知らない。

 ゼロレクイエムと呼ばれる計画が終了して、協力者たちは各地に散った。
 ある者は元々生きていた場所へ、ある者は新天地を求めて。すべての事情を察しながらも最後まで当事者になれなかった彼女、カレンは、それでも悲しみを乗り越えて前に進むことを決めたようだった。病弱で内気な女の子のふりをやめ、多少の空元気を含みながらも毎日毎日、走って、笑って、眩しいほどだった。私はというと。
 私はと、いうと。
 おそらく抜け殻のようだったんじゃないかと思う。

 終わったのだ。終わってしまったのだ。彼と引き換えに世界は平和への一歩を歩み始めた。最悪の独裁者に虐げられた共通の被害者として、ブリタニアもまた世界に受け入れられた。これでいい、これでよかった、これが彼の望んだことだ。たくさんの人々の、血と涙の果てに掴んだものだ。その生贄に、彼らが消えてしまったとしても。

 時の政府、と名乗る存在が訊ねてきたのは、それから一年も経たない頃だった。

 二百年先から参りましたという台詞に遠い目になってしまった私は間違っていない。カルトが発展するのは国がヤバい状況の時だって聞いた気がしたけどな……平和になろうというこの時期にこんな話が出るなんて……。このレベルで病んでいる人がこんなにもいるなんて……。
 心を痛めながらもやたら優しくうんうん頷いて病院と区役所を紹介しようとした私に彼らは必死に言い募り、一部の人間しか――それこそ黒の騎士団、帝国軍、それぞれの幹部付近に所属でもしていないと――知らないようなことを示して私を説得した。後年、歴史の全ては時間を遡る技術によって何もかも詳らかにされるそうだ。それも勿論、一部の人間に関する一部の事柄に限るのだけれど。

 その時間を遡る技術を用いて、歴史を守る戦いをしている。
 どうかあなたに、その一端を担ってほしい。

 状況証拠や書類を揃えられ、一部の実例も見せられ、ようやく状況を理解して、……迷うことはあまり無かった。私は日本を取り戻す戦いを終えたばかりで、この平穏を守りたい人間だった。ようやく活発な笑顔を取り戻した親友、一時期それこそ抜き身の剣のようになっていた同級生、憧れも恩もある女性、生徒会の仲間達、器用でひどく不器用なピザ中毒の魔女。穏やかで優しかった盲目の、己の力だけで視力を取り戻した少女は遠くへ行ってしまったけれど、メディア越しであれ笑顔を見せてくれるようになっていた。それから、――それから。いとおしい、過去。
 今となっては儚く、輝かしくて穏やかだった学園の日々。笑い合い、たまには喧嘩をしながらも、一緒に過ごした数年間。
 面倒事ばかり押し付けられているとぼやきながら、会長の思惑通りなのか気の抜けたような横顔。ほんの少し、笑う顔。

 守りたかった。彼のいた過去を、彼が得た明日を。
 尊重したかった。誰よりも彼の意思を。
 必死で戦った仲間達や、もちろん自分や、得たものも失ったものも山程あるけれど――その先に掴んだはずの未来を、希望を。守る一陣になれればと、それだけを想って審神者の職に就いた。
 きっとこの仕事が、この使命が、……一度も口に出来なかった、私の恋の墓標なのだ。そう、信じて。
 だけど。

(だけど?)

 またもや重い楔が降ってくる。
 巫女服。日本人ともブリタニア人とも名乗れない私が、袖を通すことを許された衣装。面布。名前を名乗らず、顔を隠して、部下を得て――まるで、誰かさんみたいだと。その事実に、慰められてでもいたのだろうか。
 あまりにも激動の時代だったから、私の生きた背景は……黒の騎士団のことは、あまり口外しないようにと言われていた。きっと歴史解釈との齟齬や不都合があったのだろう。けれど私としても、同じ時代を生きた人にも、歴史として知るであろう人達にも、あまり語る気は無かった。だってルルーシュは、ゼロは、そんなこと望んじゃいない。私達は傷を負ったが、それをひけらかすことなんてしたくない。詳しく語ればきっと誰かを傷つける。いいんだ。彼は悪逆皇帝のままで、私は愚かにも騙された一人のうちでいいんだ。ほんとうのことは私達だけが知っていればそれでいい。仕事を続けるうちに、審神者としての任務を果たすうちに、必要であれば明らかにされることもあるだろう。もしかしたらいつか正しく、虐殺皇女と悪逆皇帝の真相を知ってもらえるかもしれない。その程度にしか、考えるべきではない。
 結果として、私は秘密の多い人間だっただろうと思う。
 人に話せるようなことはなく、部下に語れるようなこともなく、同じ記憶を共有している仲間達とも距離が生じて。思い出話のひとつもできず。けれどそんなのわかっていたことで、別につらくはなかったはずだった。それで、いいと、思っていた?

(私は)

 ――やめて! あるじ!

(私、は)

 ――ごめんなさい、ごめんなさい、いい子にしますから、もうわがまま言ったりしませんから、お願いします、

 誰かが泣いていた。誰かに止められた。誰かに強く腕を掴まれ、振り払った。
 あれは誰だ。あれは何だ。絶叫していた記憶だけがある。激昂していた記憶だけがある。私は一体何があって、あんな。

 ――許さねえ。

 私は、何をした?

「っ」
「わ」

 飛び起きた肩を、誰かに押し戻された。

「………… なに……」
「こっちの台詞だ」

 ばふ、と身体の下で布団が鳴ったのが、少し遅れて耳に届く。白い天井には見覚えがある。医務室だ。庁舎のような役割を果たす建物、黒の騎士団とブリタニア軍、その他諸々が区分けされつつも同じ建物内に収まっている、まるで奇跡みたいな場所の一角。夢と現実に混乱しつつも視線を走らせていると、私の肩を押した張本人は『少し休め』の言葉とともに布団をかけ直してきた。眩しいような銀髪、夏の晴天のような瞳。私とカレンを含めても三人しかいない、ゼロ番隊のひとり。
 カレンを呼んでくる。そう言って席を立った彼の、服の裾を思わず掴んだ。

「……、どうした?」
「……日本は…… 特区、日本は」
「寝ぼけてるんだな」

 青い瞳が少し綻ぶ。大丈夫だ、問題なく終わった。そう言いながら柔らかく指を解かせて、私を再度ベッドへ押し戻す。

「倒れてたんだ。無理しすぎじゃないのか」
「……え……」
「でも、何事もなくてよかった。ゼロとC.C.にも伝えておくから、あとで挨拶に行くといい」
「う、ん……」
「説教はカレンに任せるよ」
「いやだ……」
「無茶するからだ。反省しろ」

 普段と全く同じ調子で言って、少し笑って、部屋を出て行く、その背中を見つめるしかできない。
 黒の騎士団、ゼロの片腕、銀色の騎士。アッシュフォード学園内、まるで捨て犬を拾うように保護された彼は、記憶喪失という背景もあって最初はだいぶ疑われていたが今はルルーシュの親友となった――あいつ、いつになったらゼロが自分だって言うつもりなんだろう――ひとつひとつ思い返し、一人頷く。覚えている。記憶に齟齬は見当たらない。特区日本は成立した、……あちら側と違って。

(……何がどうなってるんだ……どっちが正しいんだ)

 ぎゅっと握ったシーツの、まだ真新しく硬い感触。室内は暑くも寒くもなく、笑い声こそ聞こえはしないものの窓の外の空気も穏やかに見える。これが偽物だなんて信じられない。とても思えない。
 けれど、脳裏に残る赤黒い記憶。

 ――日本人を名乗る皆さん、お願いがあります。死んでいただけないでしょうか。
 一瞬、聞き間違いだと思った。平常と変わらず愛らしく、どこか間延びしたような声。
 ――ええっと、自殺してほしかったんですけど、ダメですか?
 ――じゃあ、兵士の方々。皆殺しにしてください。虐殺です。
 まるで待ち構えてでもいたように、威嚇用でしかなかったはずの武器が丸腰の民衆へ向けられた。降るような銃弾。皇女様は自らもその細腕に銃を抱え、明らかに慣れていない様子ながら死体の海に飛び込んでいった。一箇所に集められて満足に逃げることも出来ずに倒れていく人々。悲鳴。硝煙と鉄のにおい。銃声に掻き消される呻き声。特区日本のために用意されていた中継カメラは、そのすべてを余すところなく放送した。
 愛らしく穏やかで、己の騎士に純日本人を選ぶほどイレブンに肩入れしていたはずの皇女様。
 ぜんぶ罠だったのか、日本人を、反乱分子を一網打尽にするための。そう断じられて、彼女はそれまでのすべての経歴と実績を忘れ去られ、虐殺皇女として人々の歴史に残った。反比例するように、彼女を止めた――殺したゼロは、日本人の救世主としての立場をいっそう盤石のものとする。
 その歴史だって覚えている。

(……いったい、何が、どうなって)

 思わず触れた腹部に痛みがなく、ふと違和感を覚えて服の内側を確認した。経歴が経歴なのでそこそこの痣や傷はあるものの、まっすぐに刺されたような形跡はない。
 あの少年は、何者だったのか。

(……まだ、なにも……誰にも、何も言えない)

 ぐ、と拳を握りこむ。
 なにもかもが不確かで、そもそもただの夢かもしれない。都合のいい、もしくは悪い夢を、現実だと思い込んでいるのかもしれない。だってここでは実際に、特区日本は成功している。ゼロには両翼が揃っているしルルーシュもユーフェミア皇女も健在だ。きっと枢木くんも元気で、ナナリーだってミレイさんだって、……カレンだって……

「…………」

 顔に触れる。面布の感触はそこに無い。私には顔を隠す必要など無い。
 そうだ、夢だ。だってこれが誰か、私の知らないギアスユーザーの攻撃だったとして、私を攻撃して何になるんだ。幸福なばかりの夢を見せて何になるんだ。私一人消えたところで大して戦力は削られない。もしくは歴史修正主義者の攻撃だとして、その根拠も実害もわからない。私程度を削ったところで、黒の騎士団にも時の政府にも大した被害ではない。だから、きっと、気のせいだ。
 腹が、熱く痛む気がする。見知らぬ少年、見えない傷が訴えかけてくる。だって。だって、としか返せない。

「起きてるんでしょ? 入るわよ」

 声とほぼ同時に入ってきた、その顔を私が見間違えるはずがない。
 カレン。強くて優しくてちょっと素直じゃなくて、だけど一旦決めたことは絶対に守り通す、真っ直ぐな性質の、私の親友。日本人でもブリタニア人でもないのだと告白した私を、同じだと抱き締めてくれた女の子。

「……、」
「だからちゃんと寝ろって言ったじゃない。生徒会の方がやたら忙しいのは知ってるけど、両方ちょっとずつ手を抜いたって私達やシャーリー達もいるわけだし―― ……どうしたの」
「……、いや、」

 布団の下で強く拳を握る。奥歯を噛み締めて、唇だけは笑っているようにつくる。

「……よかったなあって……無事に終わったんでしょ」
「…… もう。バカ」

 怒れないじゃないの。
 呆れたように言ってベッドの隣に座る彼女がいとおしい。少し綻ぶ笑顔、『そうね、ようやく』と囁くように言って、布団の上に片手を乗せる。何年も前、自分の卑しさと臆病に泣く私を、撫でて慰めてくれたときと同じように。

「……忙しいのは、これからよ」
「うん」
「まだまだ全然安定してないんだから。ブリタニアだって信用しきれるわけじゃないし、新人教育もあるし、組織の性格も変わっていくだろうし、連携取る相手を見定めなきゃならないし、そもそも最終目標は日本の独立だし。特区なんて、私は完全に賛成ってわけでもなかったんだからね」
「うん」
「……でも……でも、そうね。よかった」
「…………うん……」

 これが本当に本当だったら、どんなにか。
 ぎゅう、と握りこんだ拳が、自分の身体とは別のもののような感触がする。カレンにはきっと私が泣きそうに見えている。私にも、カレンは少し泣きそうに見える。なのにその意味が全然違うことが悲しい。意味が全然違うってわかっているのに、手放せない。



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2020.11.29