「少し休め」

 そう言われたのは、執務室に入って早々のことだった。
 両脇の二人をすり抜けて――というより、両脇の二人も私を見て頷いた――ピンポイントに言われ、むっとした気持ちの方が先立つ。べつに疲れてませんけど。と言い返そうとした瞬間、『そうですよ!』という声に遮られる。ゼロと同じく窓を背にしたユーフェミア皇女が、自らの騎士に怒ったような顔をしていた。

「あなたは学生でもあるんでしょう!」
「しかしユーフェミア様、」
「しかしじゃないです、この前もお休みだって言ったのにずっと訓練してて! 聞いてるんですからね!」
「……」
「……」

 意図せず痴話喧嘩のような光景が目に入ってきてつい隣に視線をやる。青の騎士は相変わらずの無表情で、赤の騎士はやや呆れたような顔をしている。ゼロの表情は見えないけれど、多分すこし笑っている、ような気がする。

「……だ、そうだ。諸君らも学生だっただろう」
「え、いや、私達は」
「こちらは幸い三人いるからな、もちろん本分はこちらにしてもらわないとならないが――入れ替わりで休め。まずは君からだ」
「……はい」

 シフト制と言われれば頷かざるを得ない。オールハイルルルーシュ、と言ってやろうかと思ったけれど、さすがに時期尚早だろう。いつかやってやる。
 私が不貞腐れた顔をしているうちにブリタニアの方も決着がついたらしく、そろって執務室を追い出される。顔を見合わせ、こっちはともかく枢木くんは大丈夫なの、と訊くと、まあ僕より偉い人も強い人もたくさんいるから、と苦笑とともに返ってきた。謙遜が過ぎる。

「それに、彼のことは信じられるよ。何かあってもユフィを守ってくれる」
「…… うん」

 穏やかな顔をして言ってくれるが、その『彼』がゼロでないことはわかりきっている。
 ……ゼロは立場的に仕方ないにしてもだ。彼との付き合いはカレンや私より若干とはいえ短いはずだし、秘密をバラすタイミングも同じだったはずなのにな、と妙にもやもやしてしまう。あの子、無表情なわりに人たらしのところがあるよなあ。……そもそも枢木くんの中で私やカレンの信頼度が低い?

「……へんなこと聞くけどさ、その『彼』とルルーシュ、どっちが信用できる?」
「なに急に。ルルーシュはほら、なんていうか、……別物だから。立場も違うしさ」
「…… うん」

 これ負けてない? 記憶喪失の転入生(ですらない)という怪しい存在、しかも和解したとはいえ元々は敵対組織に所属していた人間に負けてない? 十年来の幼馴染?
 とはいえ現時点で嘘をつきまくり、正体を隠してゼロやってるし一時は本気でユーフェミア皇女をどうにかしようとしたっぽい男である。正当な評価なのかもしれない。……えーでも納得いかないな、彼のいいところなんて顔と性格と身体能力と頭くらいでは。いや充分だな。他に何が必要だっていうレベルだな。やむなし。

「やむなし……」
「?」
「なんでもない。ごめんね、巻き込む形になっちゃって」
「ううん。僕もずいぶん前から叱られてたから…… ……せっかくだし、一緒に学校行かない? 揃って遅刻だろうけど」
「、うん」

 少し笑って言う枢木くんは、すっかり学生モードに戻ってしまったらしく柔らかい気配をしていた。お互い制服に着替え待ち合わせると、なんだかこれまでのことが夢だったような気がしてしまう。

「でも――ゼロも、部下を気遣うようなことがあるんだね」
「え」
「気を悪くしたらごめん。ただ、……あまり、いい印象が無かったから。ユフィがいくら説得してくれても、なんだか」
「あー……まあ、うん……それはそれで間違ってないんだと思うよ……」

 あれを冷たく感じるのはわからないでもない。今は顔が見えないから尚更だ。無駄に声がいいのも怪しいといえば怪しい。
 カレンでさえたまに不安そうにしているんだから、近しいわけでもない枢木くんが信用できていないのも無理はない。

「……口が回るくせに肝心なところとか自分の気持ちは話さないからさ。誤解されやすい奴なんだよ」
「……」
「わりと悪役ぶるところもあるし。本人的には多分じゃれあいのつもりで煽りがちっていうか」
「フォローしてないね?」
「おかしいな。フォローして同盟相手の株を上げるはずだったんだけどな、ゼロの忠実な部下としては」
「あっは、ははははっ」

 別にウケを狙ったつもりではないのに盛大にウケた。
 丸まる背中を叩いてやると、痛いよ、とちっとも痛くなさそうな笑い声が返ってくる。そうして一頻り笑って、ふっと息をついて――こちらに向けられる視線が、とても穏やかなものに見える。

「……君みたいな人を傍に置いてるんだから、ゼロも僕が思ってたような人物じゃないのかもしれない」
「忠実な部下ですけど」
「あはは」
「笑わせるつもりで言ってないんですけど?」
「わかってるわかってる」

 本当にわかってるのかな。ていうか忠実な部下なのは間違っていないはずなんですが何故ウケてるんだ。黒の騎士団では、というか人前では堅苦しい態度を守ってるはずなんだけどな……守れてなかったりする……? 少しばかり自分の行動を振り返りつつ、お互いにアッシュフォードの制服で並んで歩く。中途半端な時間に焦りもしていない学生二人は悪目立ちするかと思いきや、案外そういった人は多くいた。いずれも、どうやらブリタニア人だが。
 特区日本は成ったものの、未だ砂上の楼閣に近い。一歩出れば差別も格差も蔓延している。ろくでもないブリタニア人はろくでもない日本人と同じくらいの割合で存在していて、それを野放しにするしかないような場所もある。
 同じようなことを考えていたのだろう。しばらく無言のまま歩いていた枢木くんが、ねえ、と声をかけてきた。

「どうして、黒の騎士団に入ったの?」
「え」
「これは、単純な疑問なんだけどさ。……だって、君は、アッシュフォードの人だろう」
「……」

 優遇されるブリタニア人からすれば。それも、アッシュフォードのような名家の娘からすれば、エリアイレブンも別に不都合のある話ではないはずだ。と、いうことなのだろう。純日本人の彼が名誉ブリタニア人の地位を求めたのとは真逆の行為だ。
 どうしようかな、軽く話すにはあまりにも私の内部に関わりすぎているのだけれど。という気持ちは顔に出ていたのか、『言いたくないことは言わなくていいんだけど、』と気遣うような言葉が続いた。

「……別に、隠すようなことでは……あるんだけど一応」
「あるんだ」
「そうだよ。だから内緒ね」

 内緒話だから、歩きながら話すぐらいがちょうどいいのかもしれない。
 カレンは全部知っているし、ルルーシュも大体は知っている、……そういえば彼にはまだ話してないな。機会があれば話してみようかな。

「私、日本人とブリタニア人のハーフなんだよ。今はダブルっていうんだっけ?」
「…… え、」
「いや、どっちにしろ半分っていうほど濃くないな……おばあちゃんのおばあちゃん辺りで血が混じってて。家系図のどっかでアッシュフォードの分家の娘さんがいたの。他は全部日本人」
「…… それって、普通に言ってもいいことなの?」
「だめだろうねえ」

 だから内緒ね。人に知られたらミレイ会長の立場が危うくなるしアッシュフォード学園自体も揺らぐし私に至っては命の危機ね。
 自分を受け入れてくれたアッシュフォード学園は勿論、ミレイ会長にも恩を感じているであろう枢木くんはバラせないだろう。できれば知りたくもなかったはずだ。見れば思い通り、焦るような顔をしていたのでニヤリと笑ってやる。

「う、そだったり、冗談だったり」
「私ってば根が真面目なもんで冗談とか苦手なんだあ」
「どこが!!」

 おかしいな。焦って怒られるのはまだしもその切り返しは予測してなかったぞ。いや真面目だろ私……黒の騎士団と学生を両方やりつつ生徒会も行ってナナリーのフォローもして怪しまれないようにルルーシュの偽装工作もやってるんだぞ……? たまにピザも手作るのよ……? C.C.はチーズが足りないとか文句言いつつもめちゃくちゃ食べてくれたし、ミレイさんとかリヴァルは喜んでくれた。
 ミレイさんは、私のすることはなんだって喜んで、受け入れてくれる。きっと心からそうしてくれている部分も、罪悪感に後押しされている部分もあるのだろうけれど。

「…… 私の家族はね、自分達が全滅する代わりに、私一人をアッシュフォードの庇護に入れさせたんだよ」
「……」
「アッシュフォードの遠縁ってことになってる。嘘じゃないけど、そんな言い方ができるほど近くもないよ。私は本当にただの日本人だったし、引き取られるまでミレイさんの顔も知らなかった」

 日本がまだ日本であった時代、ブリタニアとの戦争が終わらないうちに私はアッシュフォードに差し出され、ほとんど同時に私の生家は消えていた。記録も家財も全部燃やし尽くして、……遠い血が入っているということだけは知られていたから、ブリタニア人狩りの一環だったのか、それを言い訳に恨みを買っていたのか、もしくは私の家族の仕組んだことだったのか。おそらく全部だろうと思う。穏やかそうには見えるが小賢しく、獲物を利用し尽くす狐の家。そう呼ばれたことがあった。あながち的外れでもない。私の家族は使えるものを全部使って、私をか弱く後ろ盾もない少女に仕立て上げた。そうして基本的には善人揃いのアッシュフォードの庇護下に入れることに成功したのだ。それが良いのか悪いのか、私が望んだかどうかは、今となっては考えることもできないのだけれど。

「……それこそ……どうして」
「……まあ、そうなるよねえ」

 守られているのだ。家族の命と引き換えに生きていることを考えれば、大人しくしているに越したことはない。受け入れてくれたアッシュフォード家に迷惑をかけることにもなりかねない。けれど。

「自分が、何者か解らなくなったことはある?」
「……」

 酷な質問だったのかもしれないと、その顔を見て思う。
 かつての内閣総理大臣、枢木ゲンブの息子にして、名誉ブリタニア人。

「…… 自覚としては日本人だったんだよ。でも、ある時期からブリタニア人を名乗ることを余儀なくされた。ずっと、それこそ死ぬまで、嘘をつくことを」

 学園の友人達は優しかった。みんな楽しくて穏やかで美しくて、けれど、それはブリタニア人でアッシュフォードの娘に向けられる礼儀正しさだ。……別に、自分が日本人であることに拘っていたわけじゃない。それほど強い意志があったわけじゃない。ただずっと疚しさと違和感があった。
 ブリタニア人としての恩恵を受けながら、日本人としての記憶をいつまで経っても無かったことにはできなかった。そのくせ、堂々と日本人を名乗ることも恐ろしくて。中途半端で、卑しくて、……こんな制度が無ければいいのにと思ったことは数えきれない。ブリタニア人としてふるまわなければならない学園内は居心地が悪く、かといってゲットーに出たところで日本人として扱ってもらえるわけでもない。アッシュフォードに用意された家ではルルーシュとナナリーがいて、当時のルルーシュは私に対して警戒心を顕わにしていた。おそらく気遣って、私の事情が知らされていなかったせいもあるのだろう。ともかくボロボロの母猫が仔猫を守ろうとするような様子に居づらくなって、夜に寝るためだけに帰る場所と化していた。
 行き場が無くてとぼとぼ彷徨っていた私を、カレンが守ってくれたのがきっかけだ。
 当時もう『シュタットフェルト家の病弱なお嬢様』という立場を確立していたカレンに最初は驚いて質問責めにしてしまったが、アンタこそブリキのお嬢様のくせにこんなところ歩いてるんじゃないわよ! と怒られて泣き出したのが私達のなれそめである。最終的に二人してわんわん泣いて抱き合っていたところをカレンのお兄さんに保護されたいい思い出だ。以降、私は活動にこそ参加はしなかったが、学校では特にカレンのフォローに回っていた。
 その間にナナリーのおかげでルルーシュと和解したり、見かねたミレイさんが機会を作ってくれたり、互いの境遇を話し合ったりしたわけだが、ここは置いておく。

「カレンと親しくなって、レジスタンスやってることを知って――黒の騎士団の、前身になる組織ね。……でも、立場が立場だから。長いこと一員っていうより協力者って感じで、まともに勧誘を受けて黒の騎士団に入ったのはわりと最近だよ。枢木くんご執心の『彼』と同じタイミング」
「なんか表現に悪意があるな」
「別に根に持ってませんけど。私の方が知り合うのも仲良くなるのも先だったはずなのに彼ばっか信用するのは、まあ男子同士だし? 仕方ないんだろうけど?」
「……」
「なに」
「いや…… そっちなんだ」
「なにが」
「…… ううん。君のことも、信頼してるよ」
「フォローどうも」
「本心だよ」
「いいよもう」

 あと枢木くんの言う信頼、私が知ってるのとは重さが違う。絶対に。
 本当だってば。クラスで最初に声をかけてくれたのすごく嬉しかったし感謝してる、生徒会室まで連れて行ってくれたのも、それからずっとクラスでもフォローしてくれてたの知ってるし、と話し続ける枢木くんをどうにか黙らせようと足を速めるものの、リーチが違う。私が小走りになっても普通に歩く程度で付いてきやがる。せめて早歩きになれよ!

「本当だよ。会長とかルルーシュとか、シャーリーがいてくれたから今はだいぶ普通に接してもらえるようになったけど、最初に声をかけてくれたのは君だったし」
「冷たくあしらわれた覚えがありますけどー?!」
「だってイレブンに声かけるなんてどうこうって背後で騒がれてたじゃん! 眼鏡の子なんか倒れそうだったし! 僕も、まさか、普通に好意的に声かけてくれるなんて思わなかったし!」
「……ニーナか……」

 同じ生徒会所属の身分になった今も、枢木くんに対して怯えたような態度を続ける友人のことを思って足を止める。唐突だったろうに、枢木くんも体幹を揺らすことさえなく普通に立ち止まって、口を閉じた。
 イレブンである枢木くんが生徒会所属になることに、控えめながらも反発を続けていたニーナ。枢木くんが生徒会室にやってくるようになってからは、入れ替わるようにして現れなくなった。

「……ごめんね。ニーナのこと」
「え、いや」
「……悪い子じゃないんだよ…… 優しくて、ちょっと臆病だけど思い切ったところがあって、好きなことに一生懸命で、……過去に、つらいことが、あったんだよ。そのことに、いつまでも苦しめられているの。だからって枢木くんに冷たく当たっていいわけじゃないんだけど、……言い訳でしかないんだけど……」
「……」
「って、知ってるんだけど、さあ」

 知ってるんだけどさ。ニーナが日本人を嫌うのはもう仕方のないことだと思うし、克服するよりも関わらずに生きて行ってくれた方がいいと思うし、それがままならない状況にいるのも知っているし、……出来るだけ、あの子を守ってあげたいとも、思うけれど。

「……今、枢木くんに話したようなことを、ニーナに話したら。友達ではいられないのかもしれないな、とも思うよ」
「……」
「まあ、ニーナには頼れる友達が他にいっぱいいるし。心配すること無いんだけどね」

 シャーリーもミレイさんもリヴァル達もいる。もちろん私の知らないような科学部の仲間もいることだろう。私が心配するようなことではないのだ。あ、あとユーフェミア皇女もいる。存在だけで心の支えになる相手がいるっていうのはいいことだ。
 …………その女神さまの側仕えにいるイレブンってことで枢木くんへの嫌悪が倍々になっているのでは? と思いついたけど言うのはやめておく。

「……それでも、君みたいな人がいてくれたから」
「ん?」
「君が、いてくれたから、僕にとっての君みたいになれたらいいと思って……彼に、声をかけるようになったんだ。そしたら、すごく信頼できる相手ができた」
「……」
「ゼロのことも、少し違う視点を持ってみようって思えたし、……だから、きっとニーナも、君に影響を受けたり、感謝してることが沢山ある」
「……」
「大丈夫だよ、きっと」

 ずいぶん、必死な顔をしてフォローをする子だと思う。
 意外なほど力強い緑の瞳を見つめ返す。気後れせずまっすぐ返ってくる力強さに、昔は乱暴で騒がしくてガサツで、と楽しそうに悪口を連ねていたルルーシュの声を思い出す。多少盛ってるんだろうと思っていたけれど、そういえばナナリーもあまり否定せずに笑っていたからあながち言い過ぎでもなかったのかもしれない。強情で、思い込みが激しくて、正義感が強くて、――こうと決めたことを、そういえば譲るような男ではなかったな。あの声は、悲しんでいたのだろうか、慈しんでいたのだろうか。

「――……」

 あの声は。あの顔は。いつ、どこで、見たんだったか。
 いやな予感がして、それ以上を思い返すのをやめる。

「……ありがとう」

 笑って言ったはずなのに、枢木くんはどうも息苦しそうな、もどかしそうな、――伝わっていない、と感じているような顔をしていた。枢木くんは本心からそう言ってくれている、ニーナだってきっと最初は少し怯えたとしても私の友情を信じてくれるはずだ。私は本当に、わかっているのに。
 どうしてそれを、どこか遠くのことのように感じてしまうんだろう。
 腹の底が鈍く痛む。
 あるじさま。主。あるじ。ぬしさま。大将。主君。聞いたこともないはずの声が、呼び名が、頭の中で割れそうに響く。夢はどっちだ、現実はどっちだ。私は今、どこで何をしているんだ。

「……」
「、どうした、の?」

 急に腕を掴んだからだろう、枢木くんが少し緊張した様子で首を傾げる。覚えているより幾分穏やかな、不思議そうな顔。

「――」

 彼をこうして振り返らせるときは、いつも激昂させていた気がする。
 悔しくないのか! そう叫ばれたのは、現実だっただろうか?

 ――悔しくないのか! キミは! キミだって騙されてたんだぞ!!
 ――こうやってまた、踏みにじられて、謀られて!
 ――キミだけじゃない、ナナリーや、カレンや、みんなだって――!

「違うんだ」
「……え?」
「……あ、いや、間違えた。ごめん、……今ならまだ、ギリギリ午前の授業に間に合うよね」

 首を振り、精一杯に笑って『教室行こう』と続ける。
 明らかに腑に落ちない顔をしていたけれど、彼は黙ってうなずいてくれた。



「スザクくんと腕組んで遅刻してきたんだって?」
「……腕組んでないし、遅刻はたまたまです」
「なーんだ、つまんないの」

 生徒会室に放置していた書類を片付けていたところ、入ってきたミレイさんに挨拶よりも先に噂話のことで声をかけられた。
 強い否定は逆効果なので、さらっと返す。ミレイさんだって別に本気でそんなことを言っているわけではないのだ。豊かなブロンドを揺らしながら近づいてきた彼女はするりと通り過ぎ、アーサー――生徒会室で飼っている猫に構いに行った。ところでルルーシュとカレン知らない? 何気なさそうな質問に、こちらも同じような軽さで返す。あいつ実は賭けチェス再開してたみたいですよ。彼に負けたのが悔しかったらしくて練習の一環だとか。あながち嘘でもないのでミレイさんとしても判断しかねたのだろう、ええ~、と不満げに唸った。
 シャーリーにあんだけ言われたのに、ねえ。話しかけるように猫じゃらしをアーサーの眼前で振るものの、アーサーとしてはお昼寝を優先したい気分らしい。礼儀程度に片足でパシパシあしらい、やがてぷいっと丸まってしまった。んもう。小さく不満の声を漏らして伸びをする、その肢体に陽の光が降り注いでいるのを書類片手にぼんやり眺める。振り返って視線に気付いたのか、なあに、と笑ってみせる細い肩から髪がひとふさ落ちる。普段あまりにも賑やかで意識はさせないものの、ふとした瞬間、はっとするほど美しい人だ。見目だけでなく、その心根も。

「……枢木くんと、雑談しながら来たんですけど。ユーフェミア様とも特区日本の関係も順調みたいですよ」
「ああ、あれねー。まさか実現するとはねえ。継承権、返上したんですってよ」
「え、王位を? ユーフェミア様がですか?」
「うん―― あ、言って良かったのかなこれ。まあいいわ、一応内緒ね」
「はい」

 って、言う必要もないことはたぶん知られている。
 そのまま私は書類を片付け、ミレイさんも同じように席について決済の必要そうなものを仕分けていく。ふたり無言のまま作業を進め、……考えているのは、きっと同じようなことだ。
 特区日本を成したお姫様、その騎士たる名誉ブリタニア人。――この学園の一角に匿っている、ブリタニア皇族の直系。アッシュフォードとしても、まさか完全に善意のみであの二人を匿っているわけではないだろう。状況が変われば差し出すことも、また返すことも厭わないはずだ。状況は好転してきている。今でこそルルーシュもナナリーも死んだ扱いにはなっているが、穏やかに皇族復帰できるならそうされるに違いない。

(……ルルーシュとユーフェミア皇女は、もともと婚約者の立場だった)

 たとえばゼロのままだとして、特区日本のためにもゼロとユーフェミア皇女の結婚は望ましい。中身がルルーシュだと知っているとしたら、余計に抵抗は無いだろう。もしくは必要に応じてゼロの存在が抹消されたとして、ルルーシュが皇族復帰できるならユーフェミア皇女とは互いに後ろ盾となれるに違いない。……政略的にも、おそらく当人達の気持ちとしても、いい選択だ。
 その場合、枢木くんは失恋することになるのだろうか。
 シャーリーも、私も、……ミレイさんも。
 心なしか愁いを帯びたような伏せがちの顔をちらちら眺めつつ、半ば流れ作業的に書類を確認していく。

「…… 会長、またなんかお祭りやるつもりですか」
「いいでしょ! 女装男装祭り!」
「サブカル過ぎますよ、たまには外部ウケの良さそうな祭りもやりましょうよ! 親御さんからの寄付金増えそうなやつ!」

 ちょっとしんみりしたと思ったらこれだ!
 そっと紛れ込んでいた書類をシュレッダー山に加えると真向かいから不満の声が飛んでくるものの、この規模のイベントを月イチで繰り返していたらいくら経営が順調とはいえやっていけない。毎回きちんと優勝賞品を設定しているのだから余計だめだ。頬を膨らませて不満を訴えていたミレイさんが、ふっとそれを吐いて笑った。花が開くような笑顔。

「キミは優秀だからなあ。お祖父様が手放したがらないはずだわ」
「?」
「私がいなくなったら会長の座はキミに明け渡すことになってるから。よろしくね」
「え。嫌なんですけど」
「ワガママ言わない!」

 どっちがワガママだ、とは思うものの、表向きアッシュフォードの血縁なのだから私にお鉢が回ってくるのは仕方が無いのかもしれない。……え、でも、嫌だな……。ルルーシュが今以上に不在で下手したら彼も枢木くんも居ないわけでしょ……? ミレイさんの無茶ぶりがなくなるとはいえ生徒裁量の自由が多すぎるこの学校で会長……?

「考えれば考えるほど嫌なんですけど……」
「大丈夫だってば、ナナリーもいるんだし! ルルーシュだって頑張るでしょ! 優秀な新入りも来たことだしね」

 違うんですその大前提が崩れそうなんです。ルルーシュはゼロだし優秀な新入りはその護衛役だし、これから絶対めちゃくちゃ忙しくなるんです。ともまさか言えない。……まあ、でも、いい加減にルルーシュ達頼みの現状を脱するべきなのかもしれない。リヴァルやシャーリーだって頑張ってくれているし、部活を引退になればもっと頼めることも増えるだろう。普通に考えて二人とも進学とかはしないだろうし。

「……そういうミレイさんは、卒業後どうするんですか?」
「私はねえ。まあお見合いの話もいろいろ来てはいるけど、どれもこれもって感じだし」

 ぎ、と椅子を鳴らして思い返すような仕草をする彼女に、どこか違和感を覚える。

(……ニーナや枢木くんの女神さまがユーフェミア様だとするなら、ルルーシュにとって絶対の存在がナナリーだとするなら、きっと私にとってはミレイさんがそうなんだろう)

 守りたいもの、優先したいもの、汚したくないもの。自分を自分たらしめる芯のようなものに、どうしても欠けられない存在。イレブンの私を受け入れ、一緒に隠し、守ろうとしてくれる人。厄介者でしかないはずの相手に、こうして笑顔を見せてくれる人。
 私がミレイさんを間違えるはずがない。この人は間違いなくミレイ・アッシュフォードだ、……私は、なにを不自然に思ってるっていうんだろう。

「……ねえ、特区日本が成功して、大きくなって、この島全体がそうなったりしたら」
「……」
「そうしたら、ルルーシュも、ナナリーも――キミも、自由に生きられるようになるかしら」
「…………」

 誰も。
 誰も私の家族を知らない。誰も、私のために死んでいったひとたちを、弔ってはくれないんです。
 ふたつに裂けて崩れてしまいそうだったあの時期に吐いた泣き言を、今になって思い出す。それがずっと、この人に刺さっていたことを、今になって知った。

「ミレイさん」
「……うん」

 至極やわらかな声を出して、テーブルの上に置いていた手に白い手が重ねられる。そのあたたかさを、柔らかさを、女神さまの慈愛のようだと思う。

「……すごいことよね。考えてもみなかった。……勿論そう簡単な話じゃないだろうし、何十年かかるかわからないけど、偉大な一歩ね。ほんとうに」

 ようやく、違和感の正体に気付く。
 文句を言っても、お見合い写真を跳ねのけることがあっても、どこかで聞いたような口説き方に辟易して愚痴ることがあっても。

「……ユーフェミア様のおかげで……特区日本のおかげで。未来を、信じられるような気がするの」

 この人は、自ら進んで『未来』を語ろうとはしなかった。おそらく、一度も。常に、未来よりも過去よりも、現在を優先していた。
 モラトリアム――現状を口癖のようにそう称しては、ただただ楽しみ楽しませることに精一杯であったミレイさん。

「ねえ、そしたらまた皆で集まって遊びましょ! シャーリーもルルーシュもリヴァルも、……ニーナもきっと。カレンやナナリーも一緒に、この学園でしたみたいなことをするの!」
「……幾つまでお祭り騒ぎを続ける気ですか……」
「生きてる限り青春よ!」

 笑う。そうでもしなきゃ泣きそうだった。
 学園を卒業したら、遠からず政略結婚が待っている人だ。アッシュフォードの再興のため、そのこと自体に不満は無いと言っていた――というより、貴族の役割というものを理解しているのだろう。お祭り騒ぎも青春も、おそらく恋も、この人にとっては今このひとときだけのものだった。それが、少しだけ変わってくれたのだ。

(……これでよかった)

 あの大歓声の最中でも思ったことを、また強く思う。
 これでよかった。本当に、よかった。私は私の女神さまの、憂いを少しだけ晴らせたのだ。この器用で不器用で優しくて美しい、自分には今しかないと覚悟しているくせに、いつまでも自分の恋を優先できない人に、希望を抱かせられたのだ。それだけで、本当に、もう。

(私はこっちを選ぶ)

 こっちを選びたいんだ。
 大切な人達が生きて笑ってくれている。痛みを抱きながらも信じて歩き出せている。私はこれがいい、私はここにいたい。ここで、生きていたい。

「失礼します、……会長?」
「お、スザクくん! この子とイチャイチャしながら重役登校したんだって?」
「同じ否定をリヴァルにしてきたところですよ……」
「諦めよう今日はもう」

 たぶん枢木くんも久々の登校で挨拶のつもりだったのだろうけれど、すっかり普段通りの会長に捕まってペースを崩されている。
 微笑ましく見守っていると騒がしさに起きてしまったらしいアーサーが膝の上にやってきて、二人から同時に羨ましそうな声が飛んできた。



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2020.12.02