基本的に、物欲の薄い男だ。
 おそらく生まれ持った性質のためばかりではなく、彼は――私達は、あまり私物を増やすことがなかった。示し合わせたわけではないが、互いにそれを察していたと思う。
 架空の存在、存在してはいけない人間。必要とあれば、いつでも痕跡を消してしまえるように。その状況に加え、私も彼もあまり自分の『生』というものを…… 喜ばしいばかりのものとは、思えない事情があった。誰もが当たり前に祝い祝われるそれに、どうしても苦々しい記憶が付きまとう。彼は対外的なプロフィールを伏せたり偽ったりしている部分も多かったので、それは一層顕著なものだったことだろう。
 という事情を前提としたうえ、特に趣味も好き嫌いも持たなかった彼にそれはもう毎年苦労させられた。チェスは趣味でもあったが彼の生まれでは教養の一環であったし、成長してからは『できるから活用している』印象が強かった。好物も、特筆するようなものはない。ささやかで、あとに残らなくて、残ったとしても不自然ではないもの。嫌な記憶を思い起こさせないもの。あれで意外と気難しいというかプライドの高い男なので、あくまでもさりげなく差し出せるもの。を、毎年そっと差し出してきた。
 ナナリーが喜びそうな、きれいな音のするオルゴール。小さな甘いもの。香りのいい花束。小型の通信機。護身用ボールペン。女の子に好評なお店の情報。
 毎年、毎年、ほんとうに苦労させられた。
 その苦労がこんなにもいとおしいものだったと、今になって気付く。

「ナナリー、笑って!」
「えっ? こう、ですか?」

 カシャッ。乾いた音に状況を察したらしく、まあ、と小さく声を上げてほっぺたを膨らませる可愛い妹分。

「お姉さまったらひどいです、急に写真を撮るなんて」
「ごめんごめん、撮るよ?」

 カシャッ。

「もう!」

 ぷん、と拗ねたそぶりをしてみせながら、その顔は少し笑っている。
 微笑ましいものを見る顔で眺めていた咲世子さんが、よろしければシャッターを押しましょうかと名乗り出てくれたけれど欲しいのは二人の写真だ。そう答えて咲世子さんにも許可を取り、ナナリーの耳元でわざとこしょこしょ囁く。ねえナナリー、大丈夫、かわいいよ。お願い、もう一枚だけ。ね? ふわふわの髪を指で梳く感触にだろう、ナナリーは堪え切れずクスクス笑い出した。

「本当に、お姉さまはずるいんですから」
「ナナリーはいつだって優しくて可愛くて大好きよ」
「騙されませんよ。ぎゅってしてください」

 私の妹分ほんとに世界一かわいいのでは? そりゃあの男がシスコンになるのも仕方が無いのでは?
 女同士だからなのか立場上なのか、ルルーシュに対するものとは少し違う気の許し方をしてくれているナナリーを言われるがまま抱きしめる。ちょっと不安になるほど細い肩は、しかし兄があれなので遺伝の部分もあるのだろう。両手を解放し、ご満悦の表情をしているナナリーに、きゅんとするのが九割。残り一割、ずきんとする。どちらにしろ胸が痛い。

「、お姉さま?」
「んーん。ありがとうナナリー。咲世子さんも。さて、他も行ってくるね!」
「お気を付けて。夕飯までにはお戻りくださいね。できればルルーシュ様も」
「はーい!」

 さりげなく釘を刺してきた咲世子さんも、なんとなく察してはいるのだろう。ナナリーだって写真を歓迎できる立場ではないはずだが――というのを彼女に認識させているかは置いておいて――おとなしく撮られてくれたのは、きっと兄のことを察している。私からの、毎年のささやかなお祝いも。
 クラブハウスの階段を駆け下りながら、それこそ天使のような笑顔を思う。あれを撮りたかったな。あんな笑顔はいつぶりだろう、……なんて、『今』の私が思うのはおかしいのだけれど。

(……本当はいつも、笑おうとしてくれてたって、知ってる)

 両足を動かせず、目も見えず、人の力を借りなければ生きることさえままならない身体をしている少女は、いつだって微笑みと感謝の気持ちを怠らない。それこそが彼女の強さだ。強い子だ。優しい子だ。たくましい子だ。感心するのと同時に胸が痛む。強くあることを、優しくあることを、己の無知を自覚しその責任を全うすることを、選び続けて実行し続けていった女の子だ。
 そして、大きな大きな罪を背負った。


「ミレイさん! リヴァル!」
「えっ」
「あら」

 二人が振り向いたのと同時にシャッターを切る。やや呆れた声で、今度は何やってんの、と溜息を吐かれたが欲しいのはいつもの顔なので構わない。不意打ちになってしまうのが申し訳ないところだが。シャーリーとニーナもやってきたけれど、シャーリーには髪を整える暇くらいあげよう。構えたカメラを一旦下ろす。

「なになに?」
「カメラ?」
「そう。フィルムなんだよ、アナログでしょー。卒業アルバムのネタに撮っとこうよ」
「さすがに気が早すぎない?」
「いいじゃん毎年撮ったって!」

 ちょっと言い訳が苦しいけれど、まさかルルーシュの誕生日プレゼントを皆の写真にしましたとは言いにくい。ほらアーサーも。ニーナの腕にアーサーを押し付けると、彼女は少し周囲を確認したのち何かを窺うような上目遣いで見つめてきた。

「? なに、ニーナ」
「あの…… 枢木、くんは、いいの……?」
「……」

 何かを考えるより先に、じん、と身体の芯に痺れが走って声も出せない。
 怯えている。避けている。だけど、気遣っている。優しくしようとしている。

「お、そうだよなースザクも生徒会役員だし! あ、でも今日って学校来てたっけ……?」
「朝は見なかったけどなー」

 リヴァルとシャーリーが話しているのを聞いているのかいないのか、恥じたように顔を伏せてしまうニーナの腕の中でアーサーがしゅるんと丸まって眠たそうに眼を閉じる。
 ――うん、と、たったそれだけのことを言うのに、ずいぶん体力が必要だった。

「うん、大丈夫、大丈夫だよ……枢木くん来たら、それはそれで、また撮ろう。あと、ルルーシュと、ナナリーも」
「、うん」
「んじゃあ今いるメンバーだけ、そういえば生徒会の初期メンバーね! 一人いないけど!」
「会長真ん中で!」
「はい皆そこ並んでー! 撮るよー!」
「え、お前は入んねえの?」
「シャッター押す人いなくなっちゃうでしょ。はい! 全員笑ってー!」

 ――写真は結局、飛び降りたアーサーに全員がびっくりしたり手を伸ばしたりするというものになったけれど、ある意味すごく皆らしくなったのでこれがベストだ。


「枢木くん、ご機嫌いかが。撮るよ」
「うわあ!」

 カシャッ。という音はしたけれど、多分ぶれて被写体も何もわからない写真になっていると思う。振り返るのとほとんど同時に剣を掴んだ枢木くんに、私も咄嗟に身を引いてしまったためだ。
 こいつは撮り直し必須だろうな。アナログなので画面も確認できないカメラを見せつつ、悪かったよ撮るよ、と繰り返すと、『普通そういうのは「撮ってもいい?」じゃないかな』とやんわり注意された。でもできれば不意打ちの写真が欲しいんだよ。

「なに、ブリタニア軍人は顔出し不可なの? ユーフェミア様の騎士ってことで全国放映されてるのに?」
「いやまあ駄目ではないと……思うけど……」
「じゃあいいじゃん、撮らせてよぉ」
「なんでまた急に……」

 ぐいぐいカメラのレンズ付近を押し付ける。痛がりながらも抵抗しないので気のいい子だ。イレブン云々の話が無ければモテるんだろうなあ…… イレブン云々であっても結構ファンがいるらしいが…… あっでも枢木くんを狙うイコール恋敵がユーフェミア様。無理ゲー。あれ待てよ、もしかして枢木くんの写真を撮るにはユーフェミア様の許可を取った方がいい……? それだとユーフェミア様も写りたがりそうだな、それはさすがにまずいな。元とはいえ皇族様が名もなき一般学生に写真撮らせるとか良くないな。
 枢木くんにぐいぐいやりながら考え込んでいると、『こら』と首根っこを引っ張られた。

「あんまりスザクを困らせるな」
「お、幻の美形様だ」
「何だそれ」
「今日もそう呼ばれて探されてたよ」
「本当に何だそれ……」

 何だそれと言われても名付けたのは私じゃない。ちょうどいいので二人に並んでもらってシャッターを切る。
 ――特区日本が成立したことになっても、制服などはまだ出来ていない。よって二人の服装は、黒の騎士団とブリタニア軍のままだ。年頃の近い男の子が二人、敵対組織の制服のまま並び立って穏やかに話している。距離を取って見守っていると何か共通の笑い話があったのか、ばしばし叩き合いながら笑い出した。なに、ずいぶん仲いいじゃないの。と、言ってやろうとして喉の奥がぎゅっとなる。
 二、三度シャッターを切って、それを下ろした。

「…… ありがと、いい画が撮れた」
「それはいいけど、そんなの何に使うの?」
「何に使おうかな。広報とかする?」
「そういえば広報部ないな。外向けのはディートハルトに任せてはいるが」
「特区日本はあんまり彼の好みじゃないっぽいしねえ」

 ブリタニア軍の方はどうよ、と訊いてみると、こっちもそんな余裕ないよとだけ返ってきた。
 まあ継承権返上をした元お姫様、ついでに上の一部はともかく内外からも反対意見の多い試みだ。本国から人員を割いてもらえてはいないようだし、ブリタニア軍も実は結構ギリギリなのかもしれない。

「……改めて前途多難だね」
「だね……」
「会長が言ってたぞ、そういう時の何か……たしか」

 珍しく探るような口調に、枢木くんと二人して顔を向けてしまう。幻の美形、なんて呼び名に恥じない美貌、形のいい唇が薄く開いて、閉じて、

「ガッツの魔法」
「……っふ」
「ははははっ、言いそう!」
「言いそうじゃなくて言ってたんだ」
「いや、そうじゃなくて」
「だいぶ前に聞いたことある! ミレイさん変わらないなあ」

 微妙にずれた回答をする彼にツッコミを入れながら、そういえばここも生徒会メンバーだ、と笑う。不思議な縁――というより、事情持ちや訳あり物件を生徒会が引き受けているという話でしかないのだが。それでも、ここを繋いでくれたミレイさんの存在がありがたい。共通の話題がある、共通のコミュニティがある、それぞれ立場を持ちながらそれを一旦置いておける場所がある。きっと、彼女でなくてはそうできなかった。

「ちょっと、下まで聞こえてるわよ三人とも。何やってんの」
「カレン! ちょうどよかった、カレンも入ってよ」
「なにが?」
「写真撮って回ってるらしい」
「え、なんで」
「特区日本の歴史のため!」

 今回はちょっと尤もらしい理由になったんじゃないだろうか。まあハッタリなんですけど、そういう側面も持たせればいい話だし。
 微妙に納得いかない顔をしつつも三人を撮らせてもらって、その奇跡のようなワンシーンにまた胸が熱くなる。

(プレゼントのはずなんだけど、私の方がいい思いしちゃってるな)

 ほら、笑って。もっとくっついて。そこの二人見つめ合って。その間に割って入って。面白がって指示を飛ばしていると『何を撮ろうとしてるんだ何を』『ふざけないの!』『割って入るの僕でいい?』と三者三様のツッコミが返ってきた。枢木くんこういうとこ案外柔軟だよね。

 学校の暗室を借りて現像した写真はまあ大概バラバラというか、制服姿と団服姿と軍服姿が入り乱れていて、見る人が見たら危うそうなものになってしまった。怪しませて疲労させては元も子もないのでネガも同封して小さなリボンをつけ、ルルーシュの部屋にそっと差し込んでおく。ドアの隙間からってのはどうかと思うけど勝手に入るわけにもいかないし。
 C.C.とユーフェミア様は撮れなかったけれど、そこの二人は自分でどうにかしてください。両手を合わせて念を送り、今年も無事に誕生日プレゼントを贈れた充足感に満たされながらその場を去る。

(今回は全然悩まなかったなあ)

 オルゴール。甘いもの。お花、紅茶の葉、過不足ない程度の服や小物。毎年苦労させられたけれど、今回は全然そんなことなかったのは――これからの彼に、何が必要なのかがなんとなく解るからだ。これが夢だろうとそうでなかろうと、この瞬間の思い出が今後絶対に必要になる。切り取ったいくつもの瞬間が、そこに見える人達が、彼を支える一部になる。いつか絶対、彼らの笑顔に救われる瞬間が来るはずだ。今年のルルーシュへのプレゼントは、未来のルルーシュへのプレゼントでもある。

(……なんつって、私の方が楽しかった気がするけどね)

 写真を撮りながら、切なくなる瞬間もあったけれど、それ以上に圧倒的に幸せだった。今ここに生きていてよかったと心から思えて、これを守ろうと強く思えた。
 クリスマスプレゼントを配るサンタクロースは、もしかしてこんな気持ちでいるんじゃないだろうか。
 と、ほかほか気分のままホットミルクを作っていると、ダイニングの椅子を引く音がした。振り返った先に、今ちょうどその場に座った男が『俺にもくれ』と声をかけてくる。その手には、置いてきたばかりの封筒。

「え、ここで開けるの」
「いや、軽くだが一通り見た」
「そういうこと言ってんじゃないんだけど……」

 まあいいけど……まあいいか……。
 今日はずいぶん早かったじゃん、と時計を見上げながら言ってみると、『今日くらいは早く帰れと追い出されてな』と返ってくる。やはりユーフェミア様、ゼロの正体をご存知でいらっしゃる?
 ホットミルクにイチジクシロップで香りづけしたものを二杯入れて自分もダイニングに座る、その真向かいで意外なほど穏やかな表情で写真を眺めている。その顔に、きゅう、と甘く疼く器官がある。
 笑っていてよ。穏やかでいてよ。幸せでいてよ。他に、なにも望まないよ。

「……よく撮れてる」
「でしょう。カメラマンの腕がいいからなあ」
「被写体の力も大きいが」
「被写体の魅力を引き出すのもカメラマンの腕のうちなんだよ」
「ふ、口の減らない」

 ルルーシュにだけは言われたくないなそれ。二人きりのダイニングテーブルで小さく笑いながら、ホットミルクの湯気に顔を当てる。寒い夜に、あたたかく甘いものを抱えて笑い合っている。胸が少し痛むくらいに幸福だ。ずっと、ずっと、こんな時間を過ごしていたい。こんな時間のためになら、きっといくらだって頑張れる。

「しかし、このカメラマンにはひとつ大きな欠点があるな」
「なによ」
「写るべき人物が足りていない」
「いや、C.C.は無理でしょ。ゼロにべったりじゃん」
「ばか」

 ばかとは何か。ユーフェミア様は更に無理でしょう。と、いうより先に、物置部屋に戻したはずのカメラが掲げられる。
 カシャッ。

「…… ん? え?」
「おい、笑え」
「いや、私達はまずいでしょ」
「ナナリーを写しておいて何を言ってる。……ほら、こっちに来い。俺も一緒に写ってやるから」
「写ってやるとは」

 取り上げようとしたカメラが、私でもルルーシュでもない手にひょいと奪われる。いつのまにか傍にやってきていた咲世子さんが、シャッターを押しますよ、と楽しげに言った。

「……ルルーシュ、」
「不安そうな顔をするな。ネガも写真も俺が保管する」

 そうじゃないよ。そうじゃないんだよ。あとこれは別に不安じゃなくて、この気持ちは。

「……、仕方ないなあ。今日の主役の言うことだからなあ」
「その主役に言い忘れたことがあるようだが?」
「強欲だな主役」

 お二人ともそちらへ、と言われるまま明るい場所に並んで立つ、その肘でビシビシやりあいながら笑う。少しは大人しくしていろ。そう言って腕を取られ、驚いて顔を上げた瞬間にカシャッと音がした。

「……ルルーシュ、」
「なんだ」
「…… 誕生日、おめでとう」

 なんだか私の方が幸せな気分をもらってるよって、言える日が来るだろうか。
 ああ、ありがとう。優しい声にそれ以上の返事はできなくて、取られた手を握り返す。また、カシャッと音がした。



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2020.12.05