「えっ今日のB定なんか豪華じゃない? B定にしようかな、あーでもからあげの気分……!」
「C定デザート大きい、C定にするぅ」
「えー待って待って」

 学食メニューのひとつできゃあきゃあ笑い合う女子数人の背中を呆れたように眺めるふりをして――轟の横顔を盗み見る。隣の女子と肩をぶつけあっている顔は、作り笑いのようには見えない。

(……なに、変な疑い方してんだ、俺)

 昨日はともかく今朝は本当に元気そうに見えた。それに、元気じゃない時に元気を装うなんて、ある程度は誰にだってある。嘘とかいうより気遣いとか優しさとか呼ばれるものだ。周囲の空気を円滑に回すために、誰かが気を使って疲れることがないように、誰かの気分を害さないように、みんなが少しずつ気を使い合って笑い合う。それは、多分、いいことだ。
 ……けれど轟のそれが、行き過ぎているように感じられるのは、いつ頃からだろうか。

「心操くん、あっちの席空いてた! 確保しに行こ!」
「、ああ」
「ちょっと注文行く前にハンカチかなんか貸してー! 席用!」

 手早く荷物を回収して席の確保に向かう、その足取りは軽やかだ。そんで結局なんにしたんだよ。スープカレー定食! からあげ気分とは。スープカレーって文字を見た瞬間に口がスパイスを受け入れる準備をしてしまって。口数が多い轟の声は、場所を気にしてかそれほど大きくは無いはずだけれどそこそこに人目を集める。なあ、あのこ、かわいくね? 遠くからそんな一言だけ聞き取ってしまって、なんとなく轟と距離を詰めた。なに、どうしたの。状況をわかっていないらしい顔がきょとんと見つめてくる。

 ――だけどあれ、無個性なんだろ。

 その声だけが、やたらと大きかった。

「……」
「……」

 あっちゃー、といわんばかりに苦い顔を見ているのは、俺だけだ。轟の表情が見えないはずの背後から聞こえる声はなおも続く。
 え、無個性。あれが。噂に聞いたわ。確か。エンデヴァーの。エンデヴァーの子供で無個性とか有り得るの。有り得るから居るんだろ。ええでも無個性でよく入学できたよね、コネ入学? 頭がめちゃくちゃいいとか? いやあ成績優秀者はヒーロー科か経営科だろ。普通科じゃんあれ。じゃあやっぱコネ入学、

「……心操くん。心操くん、顔怖いよ」
「……」
「悪かった悪かった。座ろう」
「轟」
「ちょっと~さすがに私が怒られるのは違うでしょこの状況~」

 いいから、さ。座ろう。
 ひそっと間近で囁くような顔をやりきれない気持ちで見下ろすも、その表情はやはり苦い笑みを浮かべている。その目を、見たことがある。これは諦念の色だ。

「……ありがとうね、気にしてくれて」

 一瞬きょとんとした後に、何故か淡く微笑む。さっきみたいな苦いものじゃなく、ただ穏やかな微笑。同い年のはずの自分が、ひどいガキに思えてしまうような優しいものだ。
 喉の奥で燻るような悪い熱に無理やりに蓋をして、腕を掴んだままその椅子に座った。

「? 心操くん、注文行ってきていいよ? 席は私がとっとくから」
「俺も頼んどいたからここ座る」
「え、いつの間に。何にしたの?」
「ミックスフライ」
「惜しい」
「横取りを前提にすんな」
「横取りなんてしません~トレードですぅ~」

 スープカレーの何を交換に差し出すというのか。ていうかそういうのは男子と女子では普通やらないだろ。どれもこれも、言ってみたところで軽やかな減らず口が返ってくるんだろうと容易に想像できて少し笑う。それを目にとめた轟が、微笑をすこし綻ばせた。

(……、)
「おなかすいたねえ。待ってる間って他のメニューについても考えちゃって困らない?」
「それは……、食い意地が張りすぎだろ」
「自覚はある!」

 いつも楽しそうにしている。いつも笑っている。だから多分――逆に、ちょっと、わかりにくい。今、俺が笑ったのを見て、こいつが心底ほっとしている様子でいる、なんて。

「……轟さあ、案外損するタイプだよな」
「なんだ急に。え、そうでもないよ? わりとクジ運いいよ? あ、個性ガチャはハズレだけどレアっちゃレアじゃん?」
「お前その反応に困るタイプの冗談やめろ」
「マジトーンで叱られたぁ……」
「おまたせー。なに、心操にいじめられてんの?」
「いや、教育的指導」
「なんと」
「ていうかお前らここでも隣か、仲良しか」

 定食をふたりぶん抱えて戻ってきた友達を逆隣に迎えながら、賑やかに食事を開始する。
 C定のデザートほんとに大きいねえ。でしょでしょ、あげないよ。まだくれって言ってない。まだって言った。けっこう食い意地張ってるよねえ。この十分間で二回も食い意地張ってるって言われたんだけどそんなことある? 女子同士のお喋りは軽やかで回転が速く、男子には難しい。早々に参加も聞き取るのも諦めて、自分のアジフライに噛り付く。

(……ふっつうの……ちょっと変人なだけで普通の女子だと思うんだけどな……)

 明るい。優しい。基本的には善良で常識的。そして、稀有な性質を持っている。『ちょっと』変わっているなんて一言で済まされるべきじゃない、本当は。――『洗脳』という個性に目を輝かせるのも、クラス全員の前でかかって見せる、つまり無害だと証明してみせるのも、無個性を堂々と名乗るのも。そのうえで、いつも楽しそうにしているのも。その態度でクラス全体に良い影響を与えているのも。
 悪ノリが過ぎるところはあるけれど、線引きは間違えない判断力もある。貴重さとは別の意味で、普通のいいやつだ――と、解っては、いる。
 いるけれど、ここのところの心操は、彼女の仄暗い部分にばかり目を奪われている。

(……『好きなヒーロー』)

 ざく、と音を立てる、歯ごたえのいいフライを咀嚼する。
 好きなヒーロー。ありふれた話題だ。どんな個性、というのと同じくらいに。
 ――私はやっぱエンデヴァーかなー。朗らかで慣れ切って、却って不自然な口調。だってその目が完全に冷めて、とても好きなものを語る表情をしていなかった。多分無数に、同じ答えをしてきたんだろう。

 ナンバーツーヒーローの娘。
 特待のヒーロー科生徒と双子。
 そして、無個性。
 ……ヒーローという職業に対しても、個性自体に対してもそれほど過敏には反応しない。無個性に対しては自らネタにしているほどだ。コンプレックスなようにはあまり見えない。……けれど。

 ――無個性じゃん。
 ――コネ入学。
 根拠のない無神経な誹りを、仕方なさそうに受け流した。怒ろうとした心操の袖を引いて、いいから、と囁いた。ありがとう、とも。慣れた顔を、していた。

 ――いつか、好きなヒーローができたら。
 そっと囁くような声だった。ほっとした顔をしていた。『いつか好きなヒーローができたら』というのは、『現時点で好きなヒーローなんか一人もいない』という意味だ。もしかしたら、『今までだって居たことがない』とも。

 昨日一日、ずっと浮かない顔でいた。いつもの騒がしさがなんだか空々しくて、少し可哀想なくらいだった。それでも誰かは『轟っていつも楽しそうだよなあ』と笑っていたから、彼女の思惑は成功していたのだろう。俺に対して、以外は。

 どうして、そんなふうに気を使うんだろう。
 心操が感じたのは単純な疑問だ。好きなヒーローなんか居なくたって誰も責めない、家族の話を――主に双子の弟について聞かれるときだって、変に茶化したりしなくっていい。元気な振りなんかしなくたっていいし、根拠もなく罵られて放置するなんて論外だ。
 だけど彼女の態度は周囲に気を使わせないように、反応に困らせることが無いように、という気配りで成り立っているのだろう。それは決して悪いことじゃない。……だけど、どうして。
 どうして、そんなふうに、他人に優しくしていられるんだ。

 聞きたいことが多い、と思う。正面切って口に出せないものばかりだ。
 どうやって無個性を受け入れたんだ。コンプレックスだったことはないのか。エンデヴァーについて本当はどう思ってる。双子の弟については。コネ入学とか言う連中のこと、本当はぶっ殺したかったりしないのか。なんでそんな顔で笑うんだ。どうしてそんなに優しいんだ。ここまで何を諦めてきたんだ。今まで、どうやって、どんなふうに生きてきたらお前みたいになるんだ。どんな過程を経て、そんなに明るく、優しい人間でいられるんだ。その目に深い諦念を映しながら、ひとを許していられるんだ。

 問いかけるには共に過ごした時間が短すぎるし、彼女はそういった突っ込んだ話をかわすのが上手い。おそらくそれも慣れなのだろう。調べようとしてすぐに知られるようなことでもない。そもそもこれは『知りたい』と言っていい感情なのかも、心操にはよくわかっていなかった。ただ、彼女のそこにあるであろう寂しさや孤独を、たまにどうしようもなく昏い瞳を、

「――でさ、体育祭! 心操も!」
「、え」
「お前なにボーっとしてんだよー。ヒーロー科行くんだろ?」
「ヒーロー科に行きたい生徒にみんなで協力するって話だっけ?」
「あ、ああ」
「そういう仕組みで学年が上がるにつれ普通科は人数少なくなってくのか……」
「サポート科とか経営科にも異動希望は出せるらしいからねえ。途中でやりたくなったらチャレンジしていいよって話なんでしょ。……逆も言えるけど、そっちはほとんど来ないし」
「普通科出身だからってヒーローになれないってわけじゃないんだけどねえ」
「心操くんいなくなるのは寂しいけど仕方ないかー」
「轟も行けばいいじゃんヒーロー科。体力測定、かなりいい数字出てたろ」
「やだよ。ていうか無理だよ、無個性だよ私」
「無個性ヒーローとかかっこいいじゃん!」
「前向きにも程がある!」

 ……笑い合いながら喋る、その誰もが、心操をヒーロー科に移動するものとして話している。
 怖い、得体が知れない、ヴィラン向き。そう言われ続けた『個性』を知った上で、いつかはヒーローになるものとして把握している。途中で諦めるだとか、そもそも無理だとか、考えもせずに。
 この雄英で、ヒーロー科の実態を目にして、なお。

「心操くん?」
「……あー、うん、……頑張る」
「うん、頑張れー」

 信じられている。期待されている。それを態度で示されている。
 応えたい。
 ヒーローに、なりたい。
 その想いが、隣で笑っている女子に抱くものとよく似ているような気がした。



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2019.07.15
2019.10.18(修正)