気にしすぎちゃいけない。悲しみすぎてはいけない。この世は仮初、くらいの気持ちでいた方がいい。人生の価値は死ぬまでの間にどれほど楽しい思いができるかだけにある。――この考え方は、そういや説教をくらったことがあったな。誰だっただろうか。童帝くんだったかもしれない。大人なんですから、もうちょっとしっかりしてくださいよ。呆れた顔で言う男の子が、たまに少し気を抜いた顔で笑ってくれるのが好きだった。彼こそ子供のくせにいろんなものを背負いすぎていたように思う。その負担を軽くしてあげることは、たぶん結局できなかったけれど。
 せつなくもいとおしい、前世の記憶。に、浸るのも、そろそろ限界らしい。

「あいつ普通科の」
「知ってる。心操だろ」
「『ヴィラン向き』の」

 ひそひそ声に、現実逃避はそこまでだと言われたような気がしつつ伏せていた瞼を開く。ヒーロー科のA組に押し寄せる生徒達――ヒーロー科も普通科もサポート科もいる――のど真ん中、ダントツで強い(そしてガラが悪い)という噂の生徒を真正面から煽っている、我が隣人。

(……私は心操くんのそういうとこ好きですけどねえ……ある意味で正々堂々っていうかねえ……)

 しかし個性を活かすならもうちょっと存在感を消しておくべきではなかったか。作戦を考えるとするならば。色々思うところがないわけでもないが、こういう――確実な格上相手に真正面からケンカをふっかけに行く負けん気は、まあヒーローとしては有望だろうと思っておく。身内贔屓? 自覚はあります。でもまあ注目を集めすぎているな。未だざわつく声を遮るように、パン! と両手を叩き合わせ、できるかぎり穏やかそうな笑みを作った。

「心操くん、かあっこいーい」
「……からかうなよ」
「いやあマジでマジで。ナイス度胸」

 ぱちぱち拍手を絶やさず歩き出すと、彼に続く人波が割れて道が作られる。これなんてモーゼ。きょとんとしたヒーロー科の面々、テレビでちょっとだけ見たことがある人達の、テレビでは見なかった表情にやや得意な気分になる。とりあえず度肝は抜いてやったみたいだぜ心操くん。心操くんの目標はそんなもんじゃないんだろうけど。まあ速やかに回収して穏やかに去るけどね。さて何を言おう、と近い顔をぐるりと見回し、――『え』と声が出てしまった。
 緑頭にそばかす、もさっとしたネクタイの男の子。普通科かサポート科だろうなと思い込んでいた。

「……ヒーロー科だったんだ」
「あっ、あの、今朝は、その」

 みるみるうちに血の色を頬に上らせていく顔。赤面症かなにかなんだろうか、大丈夫かな。血圧が不安。まあ落ち着けよと言ってやりたい気持ちで彼の肩に手を伸ばしかけ――それを、心操くんに掴まれた。

「……心操くん?」
「行こう」
「……うん」

 っていうか私は心操くんを回収に来たんですけどお……? と言っても仕方がなさそうだし歩き出されてしまった。そして再び割れる人波、だからモーゼか。仕方なしに手だけ振って挨拶とすると、彼はまごつきながらも手を振り返してくれた。

(……次はちゃんと名前が聞けるかなあ。クラスも学年もわかったわけだし聞けばわかるかな。…………ヒーロー科の一年、A組……焦凍と、同じクラスか……)

「っぷ」

 腕を引っ張ったままずんずん歩いていた心操くんが唐突に立ち止まり、慣性に従ってその背中に追突した。
 ちょっと心操くん。おこです、の声を作って呼んでみるも、『轟』と妙に重量のある声にふたをされてしまう。

「……轟ですけど、なんですか」
「……怒らないでくれよ」

 振り返った顔が、ふっと柔らかく、仕方なさそうに笑む。自分の方が怒っていそうな声をしていたくせにずるい、ていうか洗脳かけられるのかと思ったわ。

「別に、怒ってませんけどお? 怒られる心当たりでもあるんですかあ?」
「悪かったよ、強引な真似して」

 引っ張られていた腕が解放される。意味がわからない、そもそも何だったんだ。別に回収目的で行ったわけだしそれは達成されたし、いいっちゃいいんだけどさあ。腑に落ちない気持ちで心操くんの横顔を眺めていると、視線に気付いているのかどうなのか、彼はわずかに唇を動かした。『返事、するんだな』。――そりゃ返事くらいは誰でもするのでは? 見間違いか?

「で。今朝言ってたの、あいつだったのか?」
「え……あ、ああ、うん、緑頭のね。普通科かサポート科だと思ったんだけど、まさかヒーロー科だったとは」

 しかもA組――とは言わず、彼の反応をうかがう。窓の外からどこかの騒がしい生徒達の声が聞こえ、ふとそれに気を取られたようだった。横顔は、どちらかというと静かだ。

(……結局のところ、解ってはあげられないんだよな)

 ヒーロー科を落ちて普通科に入学し、なお諦めず機会をうかがう、その心情を。好ましいとは思うけれど、理解してあげられるかというとおそらく無理だ。
 ヒーロー科に入れなくたってヒーローにはなれるだろう。箔がつく、実践に近い場所にいられる、現役ヒーロー達から多くを学べる、未来の同僚ができる――メリットは私が認識している以上に多いだろうけれど、それでも。応援はできても、一緒に頑張ろうとは言えない。

 だって先生は場所にも権力にも名誉にも興味なんて無かった。
 あのひとは『自分の思い描くヒーロー』をただ粛々とおこなっていた。

(……先生を土台にして考えすぎるのは、私とジェノスの悪い癖だ)

 自覚は、している。
 ふうっと溜息を吐いて区切りとし――心操くんの背中を、気持ち強く叩いた。

「いって!」
「またまたー、私程度の平手どうってことないでしょ」
「いや割とマジで痛い」
「はいはい、ありがとね。……呆けてる暇じゃないでしょ、あそこにいた全員ぶっ倒さなきゃいけないんだから!」
「言うことがでかい」
「正面切って喧嘩売りに行った人に言われたくないわあ」

 落ち着こう。私は心操くんの友達、気のいい同級生、高校を卒業したら姿をくらませようと思っている無個性。痛いほど思い知っているはずのことを自分自身に繰り返す。私はヒーローじゃない、先生はここにいない、家族のような師匠も弟弟子もどこにもいない。私は、ここで、でしゃばるべきじゃないんだよ。どうやったって心操くんの先輩ヒーローなんかじゃないんだから。傍で、背後で、いつかは遠くから、応援の声をかけるしか、するべきじゃない。だってこれは、『私にはわからない話』なんだから。

「――」
「……、さっきの」
「うん?」
「ヒーロー科の、あの緑のやつと、なんかあったのか」
「ん、……いや、顔見知りだっただけだよ。朝たまに走ってるんだけどさ、その途中で見かけたことがあって……あっちも覚えてくれてるとは思わなかったけど」

 公園で云々やら叫んだことは言わなくたっていいだろう。――それにしても、お人よしというか、なんというか。顔を真っ赤にして緊張しきった声を出すくせに、それでも慰めようとする彼を思い出して少し笑う。
 私のことを何も知らないはずの男の子は、それでも知っている部分を精一杯につなぎ合わせて、できるだけの説得力を添えて、力付けようとしてくれた。

「……優しい子だったよ」

 ヒーロー志望にもあんな子がいるんだな、なんて心操くんの前では言うべきではないんだろうけれど。
 いや心操くんも優しいけど癖があるっていうかさ……親しいからこその遠慮のなさとかあるわけじゃん……? 初対面の時はえらくぶっきらぼうだったしさ、あれちょっと怖いぞ普通は。
 ……焦凍もたぶん初対面では怖いだろうしな……いや実質どんなタイプだかわからないんだけど正直。最後に喋ったのいつだろう、少なくとも五年は喋ってない。え、いつだ。

「……顔が広いのはいいけど、そこそこ気をつけろよ。お前わりと有名人なんだから」
「そう? まあうん、そうね。気を付けるわ」

 そのための朝ランだしトレーニングだ。これでもナンバーツーヒーロー(アンチが多い)の娘、そして無個性。誘拐未遂は一度や二度ではない。おかげで走るの結構得意。
 という油断が顔に出ていたのか、心操くんはやたらでかい溜息とともに『……わかってんならいいけど』と、ちっとも良くなさそうに言った。

「――……」

 放課後だからなのか――みんな、ヒーロー科に野次馬に行っているからなのか――ひとけの少ない廊下に、沈黙が下りる。心操くんは不思議そうに視線をよこし、なにか思い直したように逸らした。
 たまに、どうしようもなく、この男の子が、遠い。

(……心操くんに限らずだ)

 誰もかれもが、世界までもが、遠い気がする。それはたぶん世界ではなく私のせいだ。一線引いた立場でしかものごとを見られない。悲しいも嬉しいも存在するのに、確かに私の心を揺らしているはずなのに、まるで長い映画でも観ているみたいだ。主人公に感情移入して笑ったり泣いたり怒ったりしながら、その両腕にはジュースとポップコーンを抱えている。
 体育祭についてああだこうだ楽しみだねって笑いながら、その実どうでもいいと思っている。

「そろそろ帰ろうか。心操くん、体育祭の準備進んでんの?」
「俺の個性じゃ準備もなにもな」
「いやーどっちにしろ体力は必要でしょー」
「轟は体力バカだもんな」
「バカっつった今?」

 いつか職業ヒーローとなった彼は、高校一年で席が隣だった無個性のことなんて忘れてしまうのだろう。その日が早く来るといい。空っぽの私がバレる前に、いっそ忘れてくれるといい。
 ――そうしたら、私は安心して、電源を切れる気がするよ。


next
===============
2019.07.14