「いや、何も」

 早い。否定が早い。
 普段だったら何も考えず『双子なんだよ~』と返している質問は、弟と同じクラスの男の子相手となると急に引っ込んでしまった。

 そのいち、彼は私の存在を知らなかった。
 そのに、昨日ちょっと騒ぎになったし目立ったはずの私と心操くんについて焦凍は言及していない。

(…………え……もしかして私、存在を隠されている……?)

 いや隠すというほど積極的な話ではないかもしれないけれども……わざわざ言うことでもないと判断したというわけで……この基本的に優しく穏やかで無害そう、そして好奇心旺盛な男の子にさえ黙っているというわけで…… それもう気持ち的には隠されているのでは?
 い、いや、判断を下すには早い。早いけど余計なことは言わんどこう。

「……いや、従姉妹とかじゃないよ」

 笑って言ったことに彼も納得したのだろう、そっか、と意外なほど軽い答えが返ってくる。そもそも全く似ていない双子だ。焦凍は両親の色彩と個性をそれぞれ受け継いでいて、私は母方の祖父と同じ色をしている。ヒーロー科の特待生と普通科の無個性。苗字が同じだとしたって、双子よりは偶然の方が可能性が高いだろう。

「珍しい苗字だから何かあるのかと思った」
「それ言ったら緑谷も結構珍しいような……あ、珍しいといえばヒーロー科にウララカさんっているよね! あの苗字かわいくっていいよねー、あの子自体も可愛いけど」

 思えば名が体を表しまくっているな、この世界観。心操くんは個性が洗脳だし緑谷くんは緑頭だし、焦凍の個性も名前のまんまだ。轟、と、連想できなくもない。……勿論そうでもない人たちもいるけれど、そうでもない人たちは『そうでもない』存在ってことなのかなと、少し思う。そうなると無個性の私はどうなるんだって話だけども。無子とかいう名前であるべきだったかな。それかいっそモブ子とかな。いやイジメられるわ。茂武子。

(……、)

 関係ないことを考えつつ、口は緑谷くんと他愛ない会話を続けつつ、顔は笑顔を作りつつ。
 どこか遠くで、傷ついている私がいる。

 判断を下すには早いよ。
 焦凍は純粋に話してないだけとか、緑谷くんと親しくないだけとか、そもそもあいつ友達いないのかもしれないじゃん。
 そう主張する私と――どこまでも悲観する私がいる。
 焦凍は私なんかを身内と認識されたくないんだよ。いつ頃からかひどく荒んだ眼をするようになった、お父さんとそっくり同じ目をするようになった焦凍にとって、きっと私の存在も似たようなものなんだよ。『本当に俺の子か』で『無個性の劣等種』で『落ちこぼれ』なんだよ。焦凍にとっても。ふいに、手を振り払われる感覚がよみがえる。飛び散って床に散らばった林檎。腐っていく甘い果実。私の心は、あの人を満たさない。その目には映らない。
 ――焦凍。

(……なにを、いまさら)

 そうだ。今更だ。焦凍を責める資格なんか無い。
 あの場所に引きずられていく焦凍を、助けられなかったのは誰だ。膝を抱えて泣いて夜もあまり眠れなくなった焦凍を、ヒーローになりたくないと呟くようになった焦凍を、兄達や姉と接することを許されなかった焦凍を、母と二人きりにさせたのは誰だ。気遣っているつもりで母に押し付けていたんじゃないのか。大人だからと、前世持ちだからと、我慢しているつもりで――自由な立場と引き換えにしてきたんじゃないのか、実際は。
 ……何か言いたげなあの子を、言葉を、促してやることもしないで。いざ離れられたら寂しくなるなんて、身勝手だ。

 笑顔で話し続けてくれる緑谷くんに、焦凍のことを訊きたくて――それを必死に堪えていた。


 記憶の中のあの子は、大体いつも泣いている。
 おとうさんがこわい。おかあさん、ごめんなさい。まだ火傷のなかった頬をぽろぽろ零れていく涙を、拭ってやるのはいつも私だったけれど――その役目は、いつも母に交代した。
 出来損ないは焦凍に近付くな、の命令の通り兄や姉は焦凍に近寄らず、それでも焦凍の傍にいようとした私とも必然的に距離を持ち。母は、兄達がそこそこ育っていたというのもあるだろう、泣き虫な末っ子に心を砕いていた。母が来ると焦凍は一目散にその柔らかな胸に抱かれに行ったし、母もそれを前提として行動していたように思う。焦凍。焦凍。もう大丈夫よ。そんなに泣かないで。優しい声を覚えている。私はどうしていただろう、濡れたハンカチだけを手元に残して。どんなふうに感じていたのか、もうよく覚えていない。ただ、父の言葉を無視し続ける――父もまた存在を無視し続ける――私が兄達に近付くのは、きっと誰にとっても良くないことだろうとは理解していた。
 親ときょうだいは違う。私が離れたら焦凍はひとりになってしまう。誰より優れたゆえに誰より痛みを受けている、甘えたで泣き虫な弟を、ひとりぼっちにしないこと。思えば、それが私の当時の指針だったのではないだろうか。父からできるだけ庇い、兄達の代わりに寂しさを紛らわし、母の手が空いているならそこへ導いてやる。

 その結果が焦凍の火傷と母のノイローゼ、そこからはじまる家庭崩壊なわけだが。

(…………私もしかしてロクなことをしていない……?)

 なにげに的確に疫病神じゃない? 依存させ合って両方ぶっ壊してない? 存在を抹消されるのもやむなしなのでは? というかいっそ、そう考えた方がもう諦めがつくというかスッキリするのでは? 結局自分の都合じゃねえか!

(いや、でももう正直諦めたいっつーか……諦めた方が私にも皆にもいいのでは……? 悲しいけれども……)

 かなしい、けれども。
 雄英のヒーロー科に入学する、母から継いだ個性だけで父を越えるという決意なのだろうおそらく多分。本人に聞いたことはないから多分だけど、年頃の男の子の考えそうなことではある。しかしまあその決意をしてヒーロー候補のエリート街道を邁進しているその行動は、言っちゃなんだが思うつぼだ。焦凍はきっと、父の望むとおりに成長することだろう。ナンバーワンヒーローになれるかどうかはわからないけれど、それに近い場所までは行けることだろう。あの能力にあの顔だ、きっと若いうちから注目される。本人の行動に関わらず出自は隠すことはできない。氷ばかりを使う――エンデヴァー二世。
 その道に無個性の片割れは必要か? 否。
 必要じゃなくてもいいと言えるほど、私と焦凍の間に絆は残っているか?

(正直、自信が無い)

 言葉を交わさなくなって少なくとも十年は経過している。焦凍のことを多少なりとも知っているつもりだし予測もつくとは思うけれど、それは私が焦凍を見つめてきたからだ。焦凍が私に対して同じように予測をできるかというと、難しいだろう。これは既に、一方的な縁だ。見つめるばかりの片想いみたいなもんだ。データがあるってだけの話で、実際は都合のいい妄想と大して変わらない。

 諦めた方がいいんじゃないかな。
 ――焦凍のことを。彼の心を救うことを。また普通の姉弟みたいに接することを。お互いの名前を呼び合い、笑い合い、くだらない話をするような仲になることを――互いの人生に、関わることを。もう。あきらめた、ほうが。

「……いいかげん起きろよ」
「って」

 ぽこ、と頭頂部を襲った衝撃は大して痛くはなかったけれど、完全にこの場を離れていた意識を引き戻すくらいには力があった。
 教室のざわめきが耳に入ってくる。隣に、いつもの心操くんがいる。

「……起きてるもん」
「起きてるだけだろ」
「ぐう」

 なんだその頭のよさそうな切り返し。その通りだけどさ。
 あくまで起きているだけ、しかしそれなりに行動はしていたはずだ。少なくとも出す教科書を間違えてはいないし(ページは自信がない)、お昼も食べた。友達と会話も、まあほぼ上の空とはいえ成り立っていたと思う。
 それら全てを察しているような顔をした心操くんは、いそがしいやつだな、と呆れた声で呟いた。忙しい奴だ。騒がしかったり、元気だったり、空元気だったり、考え込んでいたり? 否定はできないな。一切。でも私けっこうポーカーフェイスっていうか、表向きフラットに保ってるつもりなんだけど、もしかして下手なんだろうか。心操くんが鋭すぎるのではなく?

「なんかあったのか」
「……」

 体育祭前。ヒーロー科への異動を目指す普通科生徒にとっては大事な時期。ある意味、高校受験以上に大事な時期だ。そんな時に、将来のヒーローに。モブルートが決定している無個性になんか、かかずらせたくない――という気持ちが半分。それでこそ心操くんだし、心操くんのそういうところが本来のヒーローとしての資質ってやつなんだろうと思うのが、三割ほど。残り二割は嬉しいよ。純粋に、友達として。

「……心操くんは」

 二割の気持ちが。彼を友人だと思う気持ちが、じわりと熱を帯びる。口にすべきでないことを口走りそうになる。

「ヒーローになるための道に障害があったら、どうする」
「……?」
「石とか、岩とか、壁とか、沼とか? あとなんだろう障害物競走って何があったっけ、縄?」
「いや、普通に避けるし乗り越えるし抜けるだろ」

 ――その石とか壁とか沼とかが、家族とかだったら、どうする。
 この言葉が心操くんを傷つけるであろうことを知っている。その先の展開が予想できている。この質問は、口に出してしまえば彼の夢を多少なりとも阻むことになると知っている。父の話をしようか。兄達の話をしようか。姉の話をしようか。母の話を。弟の話を、してやろうか。輝かしいヒーローの実態を。その犠牲になった家族の話を。

「……」

 ああ、これは、蛇の気持ちだ。
 知らなくていいことをわざわざ知らせる蛇の気持ち。そそのかされた女は禁止された果実を食べて、楽園を追われる身となった。

「そうだよねえ」
「……なんだよ?」
「いや、……障害は、片付けなくちゃいけないよね」

 とりあえず今回、自分の蛇を抑え込めた。それで、良しとしよう。
 ヒーローを目指す少年。夢を掲げる少年。楽園に住まうひと。……いくら私が心操くんを好きだって、モブルートに引きずり込むわけにはいかないのだ。きっと、焦凍のことも、同じように。遠くから見守ることだけが、この私のなけなしの愛と優しさで出来ることだ。

「よっしゃ、頑張ろ」
「……轟?」
「あそうだ、心操くん。私がヒーロー科の轟と双子って内緒にしといてね」
「……いやお前、自分で言ってたろ。聞かれたら普通に答えてたじゃん」
「ちょっと事情が変わったんだよ」

 焦凍のためばかりではなく、きっと私自身のためにも。そろそろ『轟』を脱して生きていくべきなのだ。

(…………でも、そしたら本当にどこへ行くんだろうな、私は)

 まあ考えてみれば予定に変更はないのか。卒業したら家を出て、家族に一切関わらないで生きていく。――お姉ちゃんと離れてしまうのは心残りだけれど、無個性の妹の存在なんて知られない方が生きていきやすいことだろう。いつか結婚もするんだろうし、ね。
 居場所ねえなあ。行き先がない。考えようによっては可能性だ、っていうのは前向きが過ぎるかしら。先生、私はどうすればいいんですかね。って聞いたところで先生はたぶん『俺が知るかよ好きにしろ』としか返してくれないんだろうな。声まで聞こえるようなリアルな想像に、少し笑った。



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2019.10.31