速報。
 双子の弟の態度がおかしい。

「轟、弟来てるけど」
「…………このクラスの轟は現在外出中です」
「いやガッツリ見られてるから。すっげえこっち見てるから」

 呼びに来てくれたクラスメイトから、早く行けよ、という圧をかけられて嫌々ながら席を立つ。
 ヒーロー科推薦入学、体育祭でも派手な活躍をした美形。いろんな意味で、轟焦凍を知らない生徒は少数派だ。普通科では、特に――というのは、もちろんいい意味ばかりではない。
 廊下に出つつ教室の出入り口すぐ脇の焦凍を押すようにして窓際へ寄ると、どうしてか少し嬉しそうに見えた。上機嫌そうなのはいいんだけどめちゃくちゃ注目浴びてるので少し控えてくれ。

「さっきのあいつ、なに話してたんだ」
「普通に呼びに来てくれただけだよ。で、焦凍はどうしたの」
「――朝、先に行っちまったから。なんでかと思って」
(それ家でもよくない……?)

 驚くことに、こういうのはこれが初回ではない。
 本当は吐き出したい溜息をぐっと堪え、べつに大した意味はないよ、とだけ答えた。そもそも一緒に登校なんて話はなかったし、これまでだってしたことがない。
 なんとなく。本当になんとなくだけれど、焦凍が本当に言いたがっているのは――やりたがっているのは、別のことのような気がした。わざわざこうして誰かを使って私を呼び出す。場所を移すわけでもなく、ただ紛れて聞こえない程度の音量で話す。二人並んでいる場面を隠そうとはしない。

「……」

 少し前まで私が隠していなかったのもあり、双子だと知っている人はそう少なくもない。のだけれど、焦凍はやっぱり目立つし普通科では正直あまり好かれてもいないので、どうやったって注目を浴びる。あれこれ言おうとする人もいる。たまーに紹介をお願いされるようなことがあってもお断りしているし。もしかしてこいつ私のことを苛めさせたいのだろうか、と思わないでもないけれど、多分それはないだろう。……ないよね?
 意味のあるのかないのかよくわからないような会話をぽつぽつとして、予鈴が鳴る少し前に戻っていく。その背中を見送りながら、ひどく疲れたような気持ちで溜息を吐いた。

「轟さあ、最近どしたの。弟すごい来るじゃん」
「……さあ……私には何が何だか……そんなに仲は良くなかったと思うんだけど」
「心操と気まずいのは?」
「……そっちはめちゃくちゃ怒らせた」

 とん、と肩をぶつけてきた女子に、隠す話も無いので返事をする。心操くんを怒らせたあの日から『頭冷やす』は続いているらしく、未だ必要以上の会話をしようとしない。正直寂しい、し、焦凍の謎行動が重なって非常に気力を削られている。癒しが欲しい。

「謝りなよー」
「私が悪いの前提?」
「違うの?」
「……違わないけど、謝ったら余計怒らせるパターン」
「あーあ」

 本当、あーあ、だ。
 癒されたいなあ。ぽつりと呟くと、隣の彼女は『癒されるってつまるところ何かを誤魔化してる状態だと思わない?』と悪気なく言った。今ちょっと気力も体力もあんまり無いので本質を突くのやめてほしい。

「……まあ、弟の方は私に構う暇もなくなるでしょ。ヒーロー科は体育祭後も忙しいみたいだから」
「ああ、指名がどうのこうの。やっぱヒーロー科と普通科の壁は高いわ」
「……うん」

 なにかを気遣ったのか、後半の台詞は音量を抑えられていた。頷きながら教室の中、隣の席の男子に視線を向ける。
 なんだかなあ、人生二回目なわけだし色々達観してるつもりだし、そこそこ器用なつもりだったけど、上手くいかないことばっかりだ。

「あんたの、さ」
「うん?」
「保健室通いは……その、なんともないわけ? 午前中も行ってたでしょ」
「……ああ――うん……」

 そういえば私は、倒れる勢いで眠り込んだのだった。うん。明らかな生返事は彼女にも気付かれて肩パンをくらう。それに苦笑しながら、夜ぜんぜん眠れないんだよ、とだけ答えた。嘘ではないが本当でもない。

「まあ健康だよ、多分」
「病院は?」
「……行ってない。行きたくない」

 その言葉に、彼女が少し目を見張るのがわかる。声の調子が変わってしまっただろうか。構わない。

「病院、嫌いなんだ。すごく」

 彼女が、ああ、とか、うん、とか曖昧に返事な返事をするのに被せるようにして予鈴が鳴った。


 信じられないというかあまり信じたくない話なのだけれど、焦凍の謎行動は学校ばかりではなく自宅でも続いている。

、少し待っててくれ。一緒に学校行こう」
「…………朝稽古の時間じゃないの焦凍……」
「昨日それで先に行かれちまったから。早めに済ませた」

 早めに済ませる必要性がどこにあるんだ。
 朝食の準備を終え、いつも通り家を出ようと玄関へ向かっていたところ追いかけてきた焦凍にそう言われる。着替え中だったのか、シャツのボタンも留まっていない。たまたま居合わせたであろうお父さんと、聞きつけて様子を見に来たのであろうお姉ちゃんがその背後に見える。お姉ちゃんはなんだかにやにやしていて、お父さんは顔を背けて無反応を貫いている。止めろよ無個性の劣等種に関わりを持とうとしてんぞお前の最高傑作が。と念を込めて見つめるが、逃げるようにいなくなってしまった。お姉ちゃんだけが一層嬉しそうにこっちへやってくる。

、ちょっと待っててあげたら。焦凍も、着替えるなら早く着替えておいでよ」
「ああ」
「……お姉ちゃん……」

 お姉ちゃんが止めてくれるなら安心だとでも思ったのだろう、焦凍が足早に部屋へ戻っていく。まさか振り切って家を出ることもできず姉を見上げると、彼女は少し困ったように笑って首を傾げた。焦凍も、寂しかったのよ、きっと。そう囁くような声が優しい。

も、焦凍が嫌いなわけじゃないんでしょう?」
「……それは、そうだけど」

 たぶん。と付け加えなかったのは、姉が安心した様子で小さく息をついたからだ。
 そうやって笑われると、そうやって安心されると、私は思っていることのひとつも口に出せなくなる。お姉ちゃん。『家族』に焦がれて、憧れて、自分のほとんどを費やして、私達弟妹を守ってきてくれたお姉ちゃん。笑ってほしいんだよ、幸せになってほしいんだよ、優しくしたいよ、望むことをかなえてあげたいんだよ。でも。……でも。

。姉さん、わりい」
「……焦凍、朝ごはんは?」
「え、いや、」
「……待ってるから、ちゃんと食べなよ。お姉ちゃんも、居間に戻ろう」
「!」
……」

 やっぱり素早く戻ってきた焦凍を振り返らせて、押し戻す。同じ食卓に着き、私はもう食べ終えてしまっているのでお茶を淹れると、ひどく幸福そうなお姉ちゃんと、表情はあまり動かないもののやたらと噛み締めて朝食を摂る弟。
 口元をカップで隠しながら、なにかが消耗しているのを感じる。

(……私は、何をこんなに疲れてるんだろう……)

 お姉ちゃんの言ったとおり、焦凍を嫌いなはずは多分ない。双子の弟だ、大事な存在だ、血肉を分け合った唯一の存在だ。四歳や五歳の当時は泣き虫で甘えたで可愛くて、同い年の姉をおねえちゃんおねえちゃんと慕ってくれた。今は――どうなんだろう。こいつの、この態度の正体は、なんなんだろう。
 わからないから、気持ち悪いのかな。ふとそう思い当たる。だって数日前まで話しかけても無視、クラスメイトに対して私の存在を隠していた可能性がある。今もそうかもしれない。にもかかわらず、急にこのベッタリ具合。学校を早退すれば部屋まで来ておかゆを食べさせたがって、学校へ行くのも帰るのも一緒にと誘ってくる。意図的にずらした時間に、気付いていないはずもないのに合わせようとしてきている。……さっきのお父さんの態度を見るに、なにか伝えて黙らせている可能性もある、か? そこまでして私と仲良しごっこをして、何をしたいっていうんだろう。何を目的に行動しているのだろう。

「そういえば病院から連絡があってね、お母さんが最近すごく調子いいって」
「そう、なんだ」
「ね、今度は皆で一緒にお見舞い行こう。ついでに外で食事してさ――」

 笑う姉に相槌をうちながら、横目で焦凍の様子を確認する。
 口の中にものが入っているから喋ることはしないものの、頷いている様子が嬉しそうで、目が少しきらきらしている。

(……焦凍も)

 焦凍も――お姉ちゃんを助けたいのかもしれない。ふたたび姉の顔に視線を向ける。嬉しそうな笑顔は、ここ数年見られていなかった顔だ。焦凍がお母さんのお見舞いに行くと言い出した時、『どうして今更』と言ってしまったのだと、後悔していたようだった。けれどあの頃から、お姉ちゃんは明るい顔をしていることが増えた――これまであまり口にしてこなかった、仕事場での話もしてくれるようになった。生徒のこと、同僚のこと、先輩のこと、同じ学校で働きたいと言ってくれる後輩のこと。家族に、家庭というものに餓えていたお姉ちゃんは、その部分を少し満たされて初めて『外』のことを持ち込んでくれるようになった。……それに対して、焦凍も少なからず思うところがあるのかもしれない。

(……私一人が駄々こねてる場合じゃないか……)

 焦凍が食べ終えたのを見て私もお茶を飲み干し、今度こそお姉ちゃんに『いってきます』と声をかける。
 行ってらっしゃい、気をつけてね。そう微笑む顔が、どうしてだろう。お母さんと、よく似ているような気がした。あの人の笑顔なんて記憶にひとつもないっていうのに。

「……」
「……」

 まあ、そう思えば、焦凍のこの態度もいくらか納得がいく。で、納得がいけば多少我慢できるというか受け入れ可能だ。私がどうこうではなくお姉ちゃんのため。お姉ちゃんの前だけの話なのだ、きっと。

、車道側歩くな。俺と代われ」
「……お気遣いありがとう、大丈夫だから早く行こう」
「……なあ、お前なんでこんな早く行くんだ? 部活とかはやってなかったよな」
「やってないよ」

 余分なこと――雄英に部活動なんてあってないようなもんだろうとか――を腹の奥に留めて、短く答える。
 なんで早くに学校行くかって、家に居たくないからだ。家や学校以外のどこかに居場所を見つけられるほどの気力もないからだ。喫茶店とか、コンビニとか、時間を潰せる場所も探せばあるのかもしれないが。それも疲れてしまうだけだ。そんなこと、焦凍は永遠に知らなくていい話だけれど。

「……俺」
「うん?」
「……職場体験、……親父の事務所に行くことにした」
「……そうなんだ」

 でっていう。
 いやこれは酷いな我ながら、それはないわ。祝ってやれよ。よく頑張ったねって、頑張ってるねって言ってやれよ。応援してるよ気合入れて行ってこい頑張れよくらい言ってやれよ。私の中の常識人がつらつらと言うけれど、私は『ひどい一言』を口に出さずにとどめておくのが精一杯だ。
 許せるかどうかはともかく。ヒーローとしては、見習うところもあるかと思って。まるで言い訳みたいに口にする焦凍、その少し俯いて、髪に陰る横顔。いつもやたらと人の目を見て話すくせに、本人的に話しづらいことがあるとこうだ。そういうところ、お父さんとよく似ている――いやどうだろう。焦凍のことはあんまり知らないけど、お父さんのこともよく考えたら全然知らないわ。気まずいことほど力押し、という感じはするけれども。

「…………」

 どうしてだろうな。
 弟が元気になって姉が明るく笑ってくれるようになって、父の望みがかなえられ始めて、母の経過が順調で。兄とも連絡を取れているようで。
 すべてが好転してきている最近、唐突に、虚しくなることがある。

「……」

 足を止め、焦凍に向き直る。至極真面目に足を止め、同じように向き直ってくる双子の弟。
 静かな両目が今までよりも厳しくない、……気がする。仲間を得て家族を取り戻してこれからきっと夢をかなえる双子の弟。ぜんぶ、もってる、焦凍。

「…………」

 いまさら、無個性の双子まで、拾おうとすんなよ。

?」
「……いいよ、もう。そんなことしなくて」
「え」
「……焦凍、ちょっとおかしいよ。何を……何を、誰に、アピールしてんの」

 姉想いの弟、無個性の片割れにも優しいヒーロー、これまでの全部をなかったことみたいに、主体的にしてきたはずの無視や見ないふりや聞かないふりを、まるで本意じゃなかったみたいな態度。
 誰のための、何のための、パフォーマンスなんだ。これもお前の目指す『ヒーローになるための』何かだっていうのか。

「……おかしいって、何が」
「自覚がないわけ? そんなはずないよね? 少し前までだったら絶対に私にそんな報告しなかったでしょう。おかゆ俺が食わせるって言ってみたり、一緒に登校したがったり帰るのも待っててくれとかさあ、変だよ急に。誰に対する仲良しアピールなわけ。これまでの行動と態度がぜんっぜん伴ってないんだよ」

 自分が、酷いことを言っているのはわかっている。
 だけどもう疲れた、百歩譲ってマジで慕われているというなら私の意見や話を聞くことくらいするはずだろう。もしくはこれまでに対する何らかの申し開きがあるはずだろう。けれどそれらは一切なく、急に普通科の教室まで迎えに来てみたり寝る前の部屋に押し掛けて来り今朝のように学校行くのを邪魔されたりだ。
 ――誰に対するアピールなんだと言ってはみたけれど、もしかしたら焦凍自身に対するものなのかもしれないと、少し思う。俺は双子の姉を慕っている、大切に想っている。そう、自分自身でも、信じ込みたいのかもしれない。
 これまでの十年をきれいさっぱり忘れ去って?

、」
「呼ばなくていい。……無理に私に関わってこなくていい。困る」

 ねえ、これがもし、一か月前だったら少しは違ったのかもしれない。私は何かが引っ掛かりつつも喜びに勝てなくて、嬉しくて、自分の中の不満を消せるように頑張れたのかもしれない。一週間でも違ったかもしれない。けれど一年前だったらもっと違っただろうし、五年前ならきっともっと。十年前なら、あの日から私達は変わらずにいられただろうか。
 ぜんぶぜんぶ、過ぎてしまった『もしもの話』だ。

「……、」
「家では……私も、ちゃんとするから。外では、別に構ってこなくていいから」

 向けられる顔を見ていられなくて、視線を逸らしたままで言う。たぶん何か言おうとしたのだろう、唇が開くのを視界の端で見たけれど、歩き出せばその声が届くことはなかった。たぶん、結局何も言わなかったんだろう。

 酷いことを遠慮なく言った。傷つけたのかもしれない。怒らせたのかもしれない。守りたかった弟を、悲しませたのかもしれない。
 それでも、もう、ただ優しく無害で鈍感で、心の広いふりを続けていくのは無理だった。

(……ごめん、お姉ちゃん……)

 最初に思うのがそれなあたり、限界はとっくの昔に来ていたんだろう。
 拒絶したのは自分の方なのに、手酷い裏切られ方をしたような感触がいつまでたっても消えない。



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2019.12.11