それほどまでに眠りを必要としているのだったら。
 どこかで聞いた台詞だと思った――リカバリーガールだ。夏休み少し前、気絶するように寝入るようになった彼女が、まだちょっとした体調不良として受け入れられていた時期の話だ。視線を向けたままの心操に、気付いた医師が目を逸らし、同じく気付いたリカバリーガールは手招きをする。一瞬躊躇したもののそちらへ歩み寄ると、立ち去ろうとした医師に『この生徒はあの子の友達でね』とリカバリーガールが背中を押した。

「子供に、他人に、あんまり事情を漏らすべきではないし巻きこむべきでもない――が、この子は未来のヒーローで、あの子といっとう仲のいい友達なんだ。他の生徒達を抑えるためにも、多少の事情は知らせてやりたい」
「……貴女が、そうおっしゃるのでしたら」

 そんな事情で心操は病室、厳密に言うならばベッドとガラス一枚を隔てた場所への立ち入りと声掛けを許された。
 無菌室で横たわる少女に繋がる管は点滴一本のみで、重病人にはとても見えない。『それほどまでに眠りを必要としているのだったら』。この病院の医師が、そして過去のリカバリーガールが口にした台詞を思い出す。状況から察するに、原因不明、少なくとも血や細胞から確認できるどの病気でもないということなのだろう。ただ、ほんとうに、『眠っている』。……敵方の個性が干渉している可能性は無いのか、という質問に、リカバリーガールも医師も無言で首を振っただけだった。わからない、のだろう。わかったところで、イレイザーヘッドの個性で破れない種類のものならどうしようもない。

(轟)

 声に出さずに名前を呼ぶ。死んだように安らかな寝顔が時折なにか口にするものの、それが聞こえるほどの場所にはいない。立ち入りが許されている看護婦に聞くと、彼女は悲しげに俯いて――周囲を何度も確認した後、心操にだけ、そっと教えた。内緒よ、と頭に付けて。

「……おとうさん、って、呼ぶのよ、あのこ」
「…………」

 言って、ぐっと歯を食いしばるように俯いた彼女は、意図して肩の力を抜いて姿勢を正す。一瞬後には頼れるナースの表情で、お見舞いもいいけどキミも無理しないようにね! と場違いなほど明るく言って去っていった。少し潤んだようだった眼は、数分もすれば元通りになるだろう。その様子に素直に感心しつつ、誰もが自分の役割を果たそうとしていることをぼんやり感じる。
 ヒーローになりたい、と思っていた。今だってなりたい、努力を怠っているつもりもない。だけど、特にヒーローを目指しているわけじゃないと言っていた彼女の意図を、いまさら思う。医師、看護婦、警察官、売店の店員、駅員、今日会った人々を順に思い返す。誰もが役割を果たそうとしている。誰もが、自分にできる精一杯を行おうとしている。彼女に心を砕きながら、ここで立ち止まるわけにはいかない医師のように。それでも患者の友人に、秘密を一つ打ち明けるようにして、本当は泣きたかったであろう看護婦のように。毎日のようにやってくる心操の顔を覚えてしまった店員。聞くより先に、病室が変わったことを教えてきた受付カウンターの人。
 こういう一つ一つを、今まで全然気付かなかった身近で尊いものを、彼女は重視していたのかもしれない。幼い子供がわかりやすく派手なヒーローに憧れるその傍らで、身近な優しさに心を配ってきたのかもしれない。

(轟)

 ガラスに手を触れる。どうしてか毎日、そんな風にしてしまって、だけど反応があったことはない。その感触にも温度にも慣れてしまった。

(轟)

 話がしたい。色々聞きたい。確かめたい。
 ヴィランと同じ場所にいたとか、その少し前から行方不明になってたとか、親とか家族とかどうでもいいんだ、今はもう。ただ、聞きたいことがたくさんある。見たい表情がたくさんある。もうさ、あの時の台詞とか、真意とかもどうでもいいよ。いつものくだんねえ話をしてくれよ。どっかの公園の野良猫がかわいいとか、ランチラッシュの『最終的には白米』に頷けるとか、そういう歌があったとか、そういえば音痴だからっつってカラオケには行きたがらなかったな、笑わないから聞かせてくれよ。米の歌でもドーナツの歌でもいいから。いつもみたいにふざけて笑ってくれよ。楽しそうな歯の見える笑顔、女子らしくねー子供っぽいって言われてたけど俺は好きだよ。しまった、と思ったとき咄嗟に唇を引き結ぶ癖とか、探るような上目遣いとか、何考えてるかわかんねえ真顔でもいい、目を開けて、……寝ぼけた顔で、しんそうくん、と呼んだ、あの時みたいに。

(…………)

 なにひとつ声に出せず、背中から倒れこむようにして長椅子に腰掛ける。ガラスをじっと睨むように見つめ続ける。
 許された面会時間は一時間。まるで敬虔な教徒のような熱心さで毎日のようにやってきてはそこで過ごす心操は、その目つきだけは聖職者の平静さからは程遠い。肉体の下に抑え込んだ激情が渦を巻いているようだった。
 夏休み終了も近い某日。心操は未だ、この部屋で彼女の身内に会ったことがない。



 ヴィラン連合への襲撃と思わぬ反撃、親玉は抑えたものの大半を取り逃し。加えてオールマイトの引退騒動。雄英への追及は止まず、慌ただしいのはマスコミばかりではない。警察、医療関係、言わずもがなヒーローたち当事者、また一般に出た被害やついでとばかりに起こる犯罪、その加害者被害者。
 そんなわけで――と、言っていいのかどうなのか。彼女の父親たるヒーロー、エンデヴァーが病院に辿り着くまでには数日を要した。お話しできる、お身内の方だけで。そんな前提で集められたのは父親、姉、それから弟。未成年がいることに医師は少しばかり眉を寄せたが、彼がヒーロー候補であること、ここで席を外させてもあまり意味は無いだろうという警察の判断で同席を許された。

「……俺から話させてもらおう。あいつは、ヴィラン連合に与していた可能性がある」
「……ほう」

 警官の一人が、思わず、といった様子で声を漏らす。彼の上司たる塚内が抑えるものの、エンデヴァーは許すとでも言うように首を振った。

「お父さん、なにを」
「無個性を実験体にとかいう話があったようだが、個性を奪える奴がわざわざ無個性に用事があるとは思えん。疑似『無個性』なら幾らでも作れるはずだ――そうだろう」
「だからってがそんなことするはずないじゃない!」
「わからんだろう!! ……わからんから、警察がこの場にいるんだろう……!」

 強く腕を掴まれ、焦凍は初めて自分の左側に氷を作っていたことを自覚した。彼を害さんとばかりに鋭く分厚く父親に向かっている。それらに少しも動じた様子なく、端から手を触れて溶かしながら、なにか圧し潰すような声が続く。

「冷静になれ、冬美。焦凍、おまえもだ。ヒーローになりたいならば」

 無個性。その現実を、苦痛を、おそらく当人以外は知らない――この場にいる誰も。ただ、知識の一端として、そして噂に聞くものとして想像はしている。無個性、それだけを理由に迫害を受ける子供時代。非行や犯罪に走るものは少なくなく、一部のオカルトではあるが『前世でひどい悪事を働いたから個性を与えられなかった』『現代の烙印』と揶揄されることもある。まして彼女は個性婚の結果、父親がなまじエリートなだけに被害が大きかったことだろう。
 いっそヴィランになってしまえば。 そう考える者がいることは頷ける、ヴィランがその立場に目を付けるであろうことも。

「……なるほど、エンデヴァーさんは娘さんをお疑いでいらっしゃる」
「おい!」
「いや、いい。……俺はヒーローだ。ヒーローだからこそ、身内贔屓はしたくない。どうか娘が目覚めた、その暁には、一切の手心を加えず尋問してもらいたい」
「親父!!!」
「冷静になれと言っているだろう!!!」

 見る間に生えた氷とそれらを一掃するように走る炎。怒鳴り合う声が響き、冬美が堪え切れず泣き出した。場が完全に崩壊したと思われるその一瞬を切り裂くように、パン! と破裂音が響く。

「……」
「市川、なにを」

 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。それが気の抜けた拍手であると誰もが気付き、鳴らしている張本人――その警官は、市川、というらしい。にっこり笑って、いやあ尊敬しますよお! と妙に張った声で言った。

「さっすがエンデヴァー、現在のトップヒーロー! 実の娘に対しても一切の容赦がない! 尊敬しますよ、我々も見習うべきだ、特に俺がかなあ! いっそ自分が彼女の身内でエンデヴァーこそが法の番人なんじゃないかと思い始めました!」
「……おい、市川?」
「すいません喋らせてください。……我々はいちおう、事情聴取をさせていただく心積もりで参りました。轟炎司さん、轟冬美さん、轟焦凍さん、皆様にです。もちろんさんにも目覚めたらお話を伺いますが、それほど強く追及する予定は無いんです……が、他ならぬお父様がそう仰るのでしたら、少し考え直さなくてはいけませんね。持ち帰って上司に進言します」

 にこにこ笑顔を保ったまま、その目が、ひどく冷たい。塚内は軽蔑の色を隠そうともしない部下の肩を引きかけ――ふと、躊躇したものの、やはり強く掴んで引く。それを必要以上の強さで振り払い、再び首を向けた市川は、もう笑みを作ってはいなかった。

「何故それほど追及するつもりでなかったか、お分かりになりますか? 信用があるからです」
「……なぜ……」
「実績があるからです」
「実績?」

 オウム返しにしたのは弟の方だった。

「ウチの管轄では有名人ですよ、彼女。誘拐の通報でね」
「……何……?」
「一番昔が、四歳だったかな。次がまた四歳、五歳、五歳、五歳、ああ六歳では何回あったか忘れちゃいましたね! 両手では足りるでしょうけど!」
「どういうことだ」
「彼女は四歳以降、誘拐されては自力脱出もしくは自力通報を繰り返しています。数回、事情を知らない者が悪戯と思って取り合わなかったり、通報さえしなかった例もあるようですから、全部を把握しているとは言えませんが」

 はく、と開いた口から、声にならない風のようなものが通る。『言葉を失う』の実例を眺めながら、市川はようやく塚内を振り返り……すべてを諦めた上司の表情を確認してから、轟家三人の顔を見回した。父親、姉、双子の弟。全員が全員、初めて知った顔をしている。笑う予定だった。予想がついていた。笑ってやる予定だった。けれどその表情は、もう作り笑いもできなかった。

「………… ほんとうに、ご存じなかったんですね」

 かせいふさんいるはずなので、呼んでください。おとうさんはいそがしいので、かせいふさんから話してくれるはずです。
 思えば彼女は、両親に話が行かないことなど理解していた。むしろ家政婦を口止めすらしていたかもしれない。そんなわけにはいかない、せめて成人済みの身内を誰か。そう言ってみても両親に連絡は取れない。親類も同様だ。終いにはどう見てもその家政婦の夫を『兄です!』と持ってこられ、市川は首を覚悟で騙されたふりをした。ちなみに以後は本物の兄が来た。未成年だったが。父親は確かに捕まらず、母親は入院して話ができる状態ではないという。家政婦を後見人という形にしての引き渡しは数回にわたり、ある程度まで成長してからは通報自体が無くなったが――代わりに匿名での通報、それも居場所を伝えるだけのものが増えた。推して知るべしである。

「……俺、昔、保育士になりたかったんですよ。どうっしてもピアノが弾けなくて諦めたんですけど」

 食いしばる歯の奥から、そんな声が出た。
 混乱して俯いていた弟が、反射のように顔を上げる。そのまっさらな表情が、いつか見た姉の顔とよく似ていて、どうしてだかひどくかなしくなる。間違えようもなく双子だ。残念ながら姉の方は幼いころから表情を作るのも声色を偽るのも上手で、こういった、虚を突かれたような顔を見ることはほとんど無かった。今ならば猶更だ。双子の弟は、未だこんな無防備な顔をしているのに。同じ両親のもとに生まれ、同じものを食べて育ったはずの、同じ条件を持っているはずの二人の差異が、こんなにも如実で、悲しい。

「子供を、守れる大人になりたかった。理不尽に虐げられる子供を救える大人に、泣いてる子供を笑わせられる大人に、……けど……泣くことも……できない、子供が、いるなんて、考えたこともなかった」

 だいじょうぶです、きたえてますから!
 力こぶを作ってみせた幼女は、しかし通報は被害届より匿名の電話だけのものの方が格段に多かった。足が速くて、力が強くて、けれど単純な怪力というより『仕組みを理解している』印象の方が強い。どこに注意すれば少ない力で壊せるか、攻略できるか。非常に効率よく壊された形跡の現場。時には、脱出はできたけれど怪我してしまって動けない、という状態で電話をかけてきたこともあった。いくら彼女が子供離れしていても、無傷ではいられなかった。
 どんなふうに育てればこんな子供ができるんだと不思議に思っていたし、しばしば部署内で話題にもなった。あんな子供なら欲しいなあと口にする奴だっていた。が、実態は、これだ。

「…………ねえ、本当に一切、気付かなかったんですか? 本当に? 誘拐とは思わなくても何か、変だと思って問いただしたりしませんでしたか? 彼女、傷だらけだったでしょう。小さい頃は特に――ずっと――」

 誰も?
 そう言うように、市川の視線がエンデヴァーから移る。冬美は蒼白な顔のまま怯えるように震え、焦凍も愕然と市川を見つめ返していた。
 ああ、ほんとうに、誰も。口にされたわけでもないその音が、全員に聞こえたようだった。

「……市川、もういいだろう。エンデヴァー、轟冬美さん、轟焦凍くん。以上だ、さんには回復を待ってだが、すまないがそれぞれ話を聞かせてほしい」
「……ああ、了解した……」
「は、い」
「……はい」

 ヴィラン連合襲撃、そしてオールマイトの無力化。度重なる雄英高校の、不祥事、と言っていい事件の数々。激震するヒーロー業界。その陰で、未だ意識を取り戻さない少女が一人いることは、世間にそれほど知られていない。


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2020.01.02