満足なわけがねえだろう。満足な、わけが、ねえだろう。そりゃ幸せだったけどさ、これからもっと幸せになれるはずなんだよ。父親がいて母親はいないけど兄達がいて、引きずられ続けた未練があって、ようやく再会できて、本来これからなんだ、これからのはずなんだ。二度目でようやく気付けた気持ちを口に出せるようにもなって、三度目で初めて満たされる部分もあって、なのにどうして。どうして私にはもう時間が無いんだ。離れたくない、離れたくないよう、離れなきゃいけないのは解ってるけど嫌だよ死にたくないまだここにいたいもっとずっとここにいたい。
 ぐずぐず泣く顔が夜風に撫でられるも、そんなものじゃ追いつかないほど熱い。抱き上げてくれている腕が器用に片手を伸ばし、頬と頭を撫でる。それを掴んで抱き込んだ。この手とだって、離れたくない。

「『先生』の前じゃそんなこと言ってなかっただろうが」
「あれはあれで本当だけどお……私にだってカッコつけたい相手ぐらいはいるんだよお……」

 カッコついてたかな、先生信じてくれたかな、もう悪い夢を見ないでくれるかな。私のこと、忘れないでいてくれるかな。あのときセイレーンは『私』に還ってきてくれたかな。
 先生に布団をかけつつ、うずくまって泣くしかできない私を回収しに来てくれたのは十兄だった。ここで死ぬわけにはいかない、もう命が残ってないとしても、ここでだけは。そう思った私を察してなのか、慣れた腕で抱き上げてくれた。いいのか、という確認の言葉は、たぶん『ここに、先生と弟弟子の傍にいなくていいのか』だったんだろうけど、声も出せずにただ頷いた。
 別れを告げられた、それでいいんだ。いいんだけどいいわけねえだろ。本当はもっとずっと一緒にいたい。もう一度弟子になりたい、ジェノスと下らない喧嘩がしたい、いつか先生よりも強くなりたい。とうの昔に手放したはずの願望がまとわりつく。お父さんの娘でいたい、お兄ちゃん達の傍にいたい。新しい願望が強さを増す。
 ぽん、ぽん、背中を叩く優しい手が寝入らせようとしてくるのに、首を振って抵抗する。眠りたくない、意識が途絶えるのが怖い。先生の前でもジェノスの前でも、お父さんの前でも言えなかった――お父さんはきっと責任を感じてしまう――本音が零れる。

「……十兄、ごめんなさい」
「なんだ」
「私、十兄のお嫁さんになれないみたい……」
「…………」

 それ本気だったのか、と言わんばかりの顔を向けられる。やっぱり本気で聞いてなかった。
 誕生わずか数か月。私が『セイレーン』も『轟』も忘れて完全な『』でいられた時間はあまり長くない。その長くない期間に精一杯に大事にされて、大事にして、淡い恋みたいなものをした。はじめて無邪気に人を好きになった。その気持ちにだって向かい合いたかった。子供の口約束がいつか消えるものだとしても、もっと別の形で言いたかった。隙あらば後悔が押し寄せる、消えたくないと叫ぶ。

「……妹の初恋がもらえたんだから、兄としては充分だ」

 後輩だったころには見たことのない笑顔。
 私の恨みや嫉みや葛藤やら羨望やら未練やら、とにかく私自身を苦しめるよくないものを、溶かしていく声。

「…………十兄、ずるい……」
「おう、お前もなかなかのもんだぞ」
「なにそれえ……」

 めそめそしながらしがみつく。本気で受け取ってくれなかっただろうけどさ、私は私なりに本気だったんだよ。十兄。お兄ちゃん。ゾンビマンさん。後輩だったころもあなたに憧れてたんですよって、そういえば言いそびれた。

 ああ、終わりたくないな、幸せだ、幸せだった。何も知らずに守られてきた。いつか来る終わりがまさかこんな形だなんて、いや仕方がないんだけど、もっと、さあ。大人になってお父さんやお兄ちゃん達に恩返しをして、大事な人を見つけて支えたり支えられたり、そういうエンディングが、欲しかったなあ。

「百点満点の終わりが存在しないってことは、お前はもう知ってるだろう」

 心を読んだみたいに、そんなことを言う。
 濡れたままの顔を向けると、ぐっしゃぐしゃだな、と笑いながら頬を拭われた。死ぬに死ねないお兄ちゃん、死にたくないけど死ぬ私。どちらが不幸かはわからないし、きっとその答えに意味はない。

 よくわからないまま戦闘中に犬死にした一回目。
 自業自得で巻き込まれて失血死した二回目。
 師匠や弟弟子に気持ちを伝え、大好きな兄の腕の中で、家族のもとへ向かっている三回目。
 ああ、そういえば、死にたくないって泣くのはこれが初めてだ。それでいいって思うべきかな。思わなきゃいけないよなあ。でもやっぱりあんまりにも短いよ。次なんて無くていいから、もっと、ここに居たい。

「……まあ、いくらでもワガママ言ってダダこねろ。付き合ってやるから」
「うううう」
「案外そうしてるうちに長生きするかもしれないしな」

 それはない。わかる。それはない。なんたって死ぬのはこれで三度目だ、生命力の尽きていく感触はよく知っている。……でもよく考えたらゾンビマンさんは一度の戦闘で二百回ほど死んだこともあるらしいので、やだこの兄妹ホラーすぎ……? 生死観がおかしくなるのも仕方ない……?
 夜が明ける前、一日のうちでいちばん寒いであろう時間帯に、冷たい腕に抱かれて移動する。その足音だけが響く中、、とひそやかな声が耳に触れた。この静けさの中でさえ、私にしか聞こえない音量。

「……俺、達は、ジーナス博士を父さんと呼ぶことになるなんて考えたこともなかった」
「、え」
「ゴリもそうだろうし……あいつも俺を息子扱いするなんて思わなかっただろう」
「……」
「……手放しで、いいこととは思わない、が…… ……」

 その先の言葉が途切れる。
 私を作った、それが判明した瞬間に殺そうとしたという話。カプセルから出た私を抱き上げたジーナス博士を、私ごと叩き切ろうとしたという話を思い出す。
 不死身シリーズ唯一の成功例。制作者たるジーナス博士を、……恨まないでは、いられなかっただろう。
 その心根から怪人になることもできなかったであろう兄は、行き場を失ってヒーローとなった。狂っていると呼ばれるS級。怪人にならずに怪人以上の力を得てしまった人間。
 長い長い沈黙を経て、なにかを誤魔化すように、頬に唇が触れた。

「……目覚めてくれて、ありがとう、

 十兄は、やっぱりずるい。
 しがみつく腕に力を込める。十兄、だいすき、ありがとう、ごめんなさい、やっぱやだ、もっと一緒にいたい。無限ループがまた再開し、たぶん十兄も困ってしまったのだろう、たこやきの家の前で立ち尽くす。やがて家の中へ入り、待ち受けてでもいたみたいなお父さんとゴリ兄にパスされた。
 私も、この人達に、なにか残せたと思っていいかな。ああでもやっぱり、終わりたくない。



「……リカバリーガール」

 それは本当に、まったくの偶然だった。
 たまたまリカバリーガールが様子を見に来て、自分もそろそろ出ようというタイミングで、別れの挨拶じゃないけど寝顔を眺めて。その瞬間、考えるより先に口を開いていた。

「あいつ、そろそろ起きます」
「――」

 無言のまま見上げてきたリカバリーガールが、一度ちいさく頷いたきりでナースコールのボタンを押す。そのまま出て行こうとする背中に声をかけると、あんたはここにいてやんな、とごく短い答えが返ってきた。

「あたしは担当医を呼んでくるよ。この時間なら行った方が早い」
「俺、なんかすることありますか」

 本当は違うことを聞く予定だった。そんな真正面から信じていいんですかとか、俺の勘違いかもしれませんとか、そういう。
 だけど俺の、予感とかしか呼べなさそうなものを聞き返すでもなく信じて、小柄な治癒系ヒーローは――轟の言う、保健室のおばあちゃん先生――は、ゆるく首を振る。

「ここにいてやんな。誰にでもできること、自分にしかできないこと。その両方を見極めながら取捨選択をするのさ。ヒーロー……に関わらず、社会を生きる心得だって言うかねえ、あの子なら」

 後半は、俺に向けられた言葉ではなかった。ふっと柔らかく笑んだリカバリーガールが部屋を出ていくのと入れ違いに看護婦が一人やってくる。

「轟さん、どうされましたか」
「多分そろそろ起きます」
「えっ、…… ……?」

 さっと轟に視線を走らせたが、数秒後、戸惑ったような顔を向けてくる。そうだよなあ、それが普通の反応だよなあ。苦笑して、『ってリカバリーガールが』と付け加えると頷いてなにやら準備を始めた。信用がないと思うべきか、リカバリーガールの信用がすごいと思うべきか。ちなみに『が』の後は何も言っていないので嘘はついていない多分。……俺こういうところ轟に似てきた気がすんなあ……。

(……)

 騒がしくなってきたのをいいことに、そろそろ過ぎる面会時間に気付かないふりで立ち尽くす。
 ガラスに手を触れる。轟の寝顔は、確かに昨日とあんまり変わりない。少し、本当に注意してないとわからないくらい少し、苦しそうなだけで。

(ほんとうは起きたくないのかもしれない)

 あいつはいつも、寝顔が一番安らかだ。幸せそうってんじゃないけど、何も心配しない顔で……なんていうか、集中して寝ている。中身が別の場所に行ってしまった、抜け殻みたいな寝姿をしている。脱ぎたいものを脱ぎ捨てたような。静かに深く、死んだみたいに寝入る様子は、目覚めの際にだけ苦痛が見える。
 辛いことが多いのかもしれない。眠っていたいのかもしれない。ヴィランの個性だろうが病気だろうが安らかに眠れるならそれが一番、轟にとっては一番、快適で穏やかで、いいことなのかもしれない。

(……ごめんな)

 ごめん。それでも、起きてくれ。
 辛いのかもしれないけど、苦しいのかもしれないけど、それでも、まだここにいてくれ。生きてくれ。
 ――心操くん、案外身勝手だよね。いつだったかそう言って苦笑していた。ヒーローってそういうとこある。そう付け加えた声が、単なる軽口じゃないってわかってはいたけど。少し、何かを思い出しているような視線の外し方が引っ掛かりもしたんだけど。それでも。
 ――まあいいや、付き合うよ。これも友人のよしみってやつかね。
 あの笑顔を、あの台詞を頼りに、残酷かもしれないことを願う。
 連絡を受けたらしい看護婦が何かワゴンのようなものを転がしてきて、それをもう一人が受け取る。戻ってきたリカバリーガールは担当医らしき人を連れていて――少し遅れて、入ってきた相手は、一方的にだが知っている。

「……、」
「よお」

 あっちも俺の顔は知っているらしい、まあ体育祭効果か、あいつといるときに会ったことあるもんな。何故か少し警戒した様子だ。
 この空間にまるで馴染みがないのだろう、所在なさげにうろうろして、……迷いながらも、俺の隣に来る。ガラス越し、轟の寝顔を眺められる場所。にもかかわらず、その視線は足元にばかり向いている。

「遅かったじゃん」

 言葉の意味を、よく理解しているのだろう。途端に強く睨まれた。だけどあんまり怖くはない。
 紅白頭、つめたげに整った無表情。轟とあまり似ていない、双子の弟。
 なにを言ったわけでもないのに、そいつは悔やむように視線を逸らした。轟は喋りすぎる感じがするけど、こいつは黙りすぎな気がする。話を聞きつけたのか、お姉さんと父親もやってきて、にわかに病室内が騒がしくなっていく。
 ……お父さんって呼ぶのよ、あの子。 看護婦の台詞を思い出して一歩下がると、轟弟が戸惑うような顔を向けてきた。すげえ表情に出るなこいつ。

「……おい、こっち、居なくていいのか」
「俺はただのトモダチだから。立場くらい分かってる」

 なあ、ご家族の皆さん。と言ったつもりではないが、お姉さんが軽く会釈しつつも――ガラスの向こうでなにやら医者に様子を見られている轟が気になるんだろう、落ち着かずにちらちらと視線を動かしている。その背後の父親、エンデヴァーは真っ直ぐにガラスの向こうだけを見ていた。
 ただ、轟弟だけが。その場を離れようとはしないくせに、恐れるように、視線を向けられないでいる。
 その口が薄く開いて、俺じゃ、と言った気がした。はっきりとは聞こえなかった。

「……いいタイミングだったじゃん。双子の絆とかあんの?」
「……騒がしかったから……気になって、来ただけで」

 意外なほど、ぼそぼそ喋る。俺こいつに苦手意識持たれるようなことしたっけ、逆ならともかく。僅かに首を傾げ、……そういうえばこいつ真正面から拒否られてたなと思い出す。この双子について知っていることは、これでほとんど全部だ。
 体育祭。それが終わってから、不自然なほど普通科の教室にやってきては轟にちょっかいを出して、異様にベッタリして帰っていった。途中でキレたらしい轟に拒否られていた。それからすぐ、轟は消えてしまったが。
 体調不良とか言われていたはずなのに行方不明だなんて知らなかったし、ついでにヴィラン襲撃で保護したとか何がどうなってんだって話ではあるけど。リカバリーガールや先生達も、それはさすがに言っていいのか困ったようだったので聞かないことにした。起きたら本人に聞きますから、という発言には苦笑されてしまったが。それでも、本人から聞かなきゃいけないことが沢山ある。あいつは家族の話を全然しないやつだったから、そこも含めてだ。

「…………」

 色々の事情があるんだろう。けど、それを知らない立場としては、個人的には気に入らない。
 一度、帰り道で会った時の態度や、体育祭後の違和感。なんでだかヴィラン連合襲撃に巻き込まれたとかで入院してしまった轟。毎日その見舞いに来てても、一度も会わなかったこと。おそらく顔を見に来てもいなかったこと。だけど。

 ――お父さんって呼ぶのよ、あの子。

 たぶん、それを尊重してやることが、今の自分にできることだ。
 ガラスの向こうに視線を向ける。少し距離を取って、輪のように囲んでいる医師が一人と看護婦が二人。リカバリーガールは少し離れたカーテンの向こうへ行き、あとはガラスのこちら側に家族が三人、友人が一人きりだ。
 しかし起きますとか言っちゃったけどこれで起きなかったらどうしよう俺。まだウロウロと視線を彷徨わせている轟弟に腹が立ったので少しだけ力を込めて肩を叩くと、やはりじとりと睨まれた。そんな顔をしてもぜんぜん力が入っていない。

「……轟はさ、ヒーロー科の轟のことで色々言われたり聞かれたりしてたけど。お前について愚痴ったり、悪口言ったことは一度もないよ」
「…………」

 だからもう大人しく待ってろよ、轟も多分その方がいいんだろうから。
 ガラス越しに見るしかめっ面が、徐々に眉間のしわを濃くしていく。それがあるところで、ふ、と緩んで、それからゆっくり、目を開ける。
 。感極まった涙声がふたつ隣から聞こえ、お姉さんは泣き出してしまったようで、……医師のジェスチャーで、エンデヴァーが内側に呼ばれていった。


next
===============
2019.01.08