夢オチ。では、ないらしい。
 オムライスを頂いたあたりから薄々感じていたことを、シャワーを浴びつつ考える。さすがにお風呂トイレは一人になれるので今は幾らでも思考の海に潜っていい。なまあたたかい水の粒がひとつ残らず丸々と落ちてくるのを眺めながら、マジかよ、と何度目か口にした。

 三度目の生、『』として生まれ育って一度目と二度目のことを思い出しつつ生きて死んで。目が覚めたと思ったら、『二度目』は終わっていなかったらしく絶望して暴れ回った。そこですぐに気を失ったか眠らされたかして――気付いた時には、眼前に覚えのある淡い金色が迫っていた。
 トガちゃん、と思わず呼ぶと、とろけるような笑みを向けられた。

(時間を戻す個性でも発生したのかと思ったけど…… 何も無いよな)

 何度か念じて試してみているけれど、何も起きない。現実を、そろそろ、受け入れなければならない。

(実は四度目が始まってましたとか……ないよな……)

 鞄はと聞いたら、ご家族に心配をかけてはいけませんからねと返ってきた。どっちにしろ心配するような家族なんていないよ多分! いや心配しないことはないだろうけど別にそこまで深刻なことにはならないよ! それよりスマホないの地味につらいんですけど! あと上着! とは、いえ、これが誘拐であることを考えれば致し方ない。痕跡を辿らせないのは基本中の基本。誘拐(未遂を含む)に遭っているのは一回や二回や三十回では済まされませんからね、もうソムリエを名乗っていい時期。いやそんなことはどうでもいい。私は現実逃避にばかばかしいことを考える悪癖をやめるべき。
 きゅ、と水栓を絞ってシャワーを止める。入れ替わりのように、重い溜息が口から零れた。
 死柄木さんの『先生』の実験に付き合ってどうのこうのがあったらしいが、そのへんの記憶はあまり無い。が、説明が無いあたり、なにかを植え付けられたわけではないのだろう。たぶん。油断させといてドカン狙いならわからないけど、そこまでする価値が自分にあるとも思えない。そもそも無個性のクソザコだ、個性を使うまでもなく首絞めて終わる命だ。

(なんっっっで誘拐されてんだかなあ……身代金も要求してないらしいしエンデヴァーさんや焦凍がいまさら私程度で揺らぐとも思えないし、……勧誘のていを取ってはいるけどそれこそ無ぇわ……)

 特に賢くも強くもない一般人を仲間に引き込むメリットが無い。そもそも一番重要なやる気がゼロだ、普通だったら書類選考も通らない。お友達ポジション? それお友達のままでよくない?
 いやまあ、記憶の通りに行けばこれから例の……ヒーロー科の誰かが連れてこられて、ついでみたいに助かるわけだが。そして死んだと思ったわけだが。ていうかなんで死んでないんだよ畜生……いやそこは今はいい……。

「……」

 今はいい。のか? 本当に?
 ぽた、髪から雫が落ちる。かけていたタオルを取って、それを拭う。
 仕組みや実態はどうあれ、とりあえず現在はヴィラン連合に居るわけだ。誘拐という形であれ、私は家からも学校からも離れた場所にいる。少しだけ、未来を知っている。――変えられるんじゃないか?

「…………」

 たぶん助かって、『三度目』があって、あの病院で目覚める。お父さんが助けてくれたんだと期待して抱き着きたくて、だけどその場所にはエンデヴァーがいる。あの場所に辿り着く未来を、今ならば。
 逆行と呼ぶには地味すぎかつ短すぎると感じていた、たったの数日。なんだったら数時間だ。数分でも、なにか、変わるのかもしれない。今この瞬間に、行動を始めるならば。……今、なら。なにかが。あの時間が。
 ぱた、ぽた、落ちる雫が量を増す。冷えつつある髪を、タオルで包んだ。


ちゃんおかえりなさい! こっち来てくださいこっち、トガが髪乾かしてあげますねぇ」
「おいあんまベタベタすんな」
「仲良しなのでしょうがないのです。ねーちゃん!」

 向けられる眩しい笑顔につられて笑い返しながら、ドライヤー片手にはりきっている彼女の前に座る。トガちゃんは濡れた髪に躊躇いもせず手を入れ、後頭部に唇を寄せるようにして『ちゃんはほんとに無防備ですね』と囁いた。

「こんな悪い人達に捕まって、あんな状態になっちゃって、かわいそうですねちゃん」
「まあうん」
「あのちゃんもお人形さんみたいでかぁいかったのです! 今度またやりましょ!」
「それは遠慮しときたいな……」

 わかっちゃいたけど倒錯してんなあこの子も……。しかしそういうところがトガちゃんの魅力なので、とか思ってしまうあたり私もなかなか頭がおかしい。くしくしと髪をかき分けられながらの鼻歌は、すぐにドライヤーの音に掻き消されて聞こえなくなった。
 まあ、彼女の言うとおりだ。人間わりとすぐ死ぬけれど、無個性の分だけ私は更に死にやすいし、ここの人達は殺人に対するハードルが普通よりも低い。幾らこの場所が心地良かろうが、彼女や彼を好ましく思っていようが、私はそれを忘れてはならない。

(とはいえ轟家でも運が悪けりゃ普通に死んでただろうしな……誘拐からの命の危機も一回二回じゃないしな、考えるだけ無駄な部分も多いか)
ちゃん、なに考えてるんですか?」
「……誘拐されるの久しぶりだなーって」
「あ、だから慣れっこさんなんですか」
「そうかもね。私も、家族も」

 嘘だ。家族は私が誘拐されてたことなんか知らない。とはいえ大半が自力脱出だったので誘拐と呼んでいいのかどうかはわからないが。娘を確保し喜び勇んでエンデヴァー事務所に連絡、そして電話が通じたころには私は居ない、というのが大体の場合の筋書きだった。そういえば警察にはけっこう迷惑をかけたんだよなあ、市川さんお元気かな。すっごい心配してくれて、却って申し訳ない気分になることが多かった。……優しい人だった。
 後ろから覗き込んできたトガちゃんが、きょと、と目を丸くして、直後にんまり笑う。童話の猫を思い起こさせる笑顔だ。

ちゃんのその顔、好きです」
「……ありがとう」
「ステ様と同じくらい好きですよ!」
「ありが…… そういやステインさん見かけませんね」

 ファンを得た心境はどうですか! ファンサービスは検討なさっていますか! サインの実装が望まれますが! きゃーウインクしてー! とかダル絡みしたかった、あの人ヴィラン連合に出入りしてる割に気が長くて常識人なので好き。すごい嫌な顔はされるけど。

「ああ、そういえばご存知ありませんでしたね。捕まりましたよ」
「…… え?! 捕まったんですかステインさん! えー、あの人めっちゃ素早いのに」
「あ、じゃあトガの宝物見せてあげますね! これもうネットに上がってないんですよぉ」

 そうして背後から抱え込まれる形でスマホに映る動画を見る。もう何回も見ているのか、周囲の人達は目を向けようともしない。けれど、その存在感のある音は、絶叫は、室内に余すところなくこだましていくようだった。
 俺を殺っていいのは、オールマイトだけだ。
 誰も彼もが一歩も動けない場面。画面越しでさえ空気を震わせる怒声。痛ましいほどの――信念と、呼ばれるだろう、なにか。

「かっこいいでしょう!」
「……そうだね、たしかに」
「はぁあステ様に会いたいなあ! ステ様とお話したいです! 殺したい!」
(おっと物騒なのがくっついた)
「ステ様に、なりたいんです」

 うっとりと目を細めて囁く様子は、確かに恋する少女と呼んで違いない。内容がちょっと猟奇的なだけで。
 すりすり頬を寄せてくるトガちゃんに同じように頬を当てていると、隣からでかい舌打ちが響いた。死柄木さんである。初対面がああだったせいか死柄木さんステインさんに対して刺々しいんだよな……ステインさんもお世辞にも優しい態度ではなかったけれども……。

「頭オカシイだろうが」
「いや恋ってのは大なり小なり猟奇的なもんですよ多分……私だったら遠慮したいですけど……」
「あ、そういえばちゃんの恋バナ聞いてないです!」
「え」
ちゃんも、だいじなひとがいるんですよね?」

 はちみつ色の瞳が、淡く輝く。恋バナかあ、そういえばしたことないかも。学校でも心操くんとどうのこうのって探られたことはあったけれど、心操くんのあの態度は完全に恋とかじゃないだろ。なんかもう後半は世話係みたいになってたし。すいませんでした。……喧嘩したままになっちゃったな。……そういえば、病室で目が覚めたあのとき――心操くんが、居たような……いや居るわけないよなあ。願望か気のせいか。

「……まあ……うん……」
「聞かせてください!」
「いや話せること何もないよ、そもそも相手にされてないっていうか」

 恋バナ、として『三度目』を思い出して遠い目になる。告白したと言ってよさそうな気はするけど……『え?』みたいな反応だったもんな……。完全にタイミングを間違えた感じもあるけど、多分それ以前の問題だ。相手にされてる感がない。

「あの紫頭の人は違うんですよね?」
「……前も思ったんだけど、その紫頭? の人って誰?」
「雄英体育祭で一緒に映ってたじゃないですか」
「……うん?」
「ちょっと待ってくださいね、えーっとぉ」

 前に掲げたままだった画面が、そうしてスイスイ操作されていく。『雄英体育祭 その十三』と銘打たれた動画がネット上に残っており、そのサムネイルに顔が引きつったのを感じた。

「ほら、ここの」
「待って待って理解した再生しなくていいからもうわかったから」
「再生ぽちー『と、轟、落ち着けって』『ご、ごめ、ごめんね心操く、う、ううっ』『泣かせたー』『泣かせたあー』『うええええゲホッゲッホ、う、うえええごめえええ』」
「すいませんでした許して!!! もういいから!!!」

 なんでこんなとこ撮られてんだ!!
 雄英体育祭、心操くんが負けて戻ってきたのを泣きながら迎えて周囲にからかわれたり慰められたりしていた場面。覚えがありすぎる死にたい。なんでアップで撮られてんだ死にたい。画面の下の方に『リア充爆発』『俺達は試合に勝って勝負に負けた』『試合に勝ったのはヒーロー科だろ。ヒーロー科は試合に勝って勝負に負けた』『俺達全敗』『なにが普通科敗退だ優勝だわ、真の勝者だわ』『むせるほどの号泣』『リア充滅せよ』『うちの事務所で声かける予定だったけどやめましょうって言っとく』等と文字列が流れている、死にたい。最後の人は誤解なので声かけてあげてください。

「死にたい……死ぬ……」
ちゃん真っ赤ですねぇ!」
「違う……違うんです彼はただの友達で……むしろ世話当番みたいなのさせて申し訳ないと……」
ちゃん教室のウサギか何かなんですか?」

 違うんだよこの時は……この時はなんかタツマキさんとフブキさんが被って……。もう本当にあの世界にはいないんだなって実感と彼にその面影を重ねていた申し訳なさが……どうでもいい死ぬ!!!

「なんでこんな……こんな辱めを……ッ!!」
「怒りだした」
「結局これ彼氏さんじゃないんですか?」
「断じて!!! 違う!!!」

 全国放送で咳き込むほどの号泣が流された、名誉棄損で訴えたい。なんでサムネにされてんだ!! 遺憾の意!!
 ぎゃあぎゃあ騒いでいるのをトガちゃんに面白がられていると、そろそろ時間ですよと黒霧さんが声をかけてくる。それは私ではなくトガちゃんに対してのものだったようで、ああそうでしたっけ、と軽い答えがあった。

「でしたっけじゃねえ。あといい加減離れろ」
「あん、弔くんが嫉妬してきますぅ」
「嫉妬て」

 死柄木さんが何を嫉妬するというのか。ていうか打ち合わせ的なことがあるのか。あれでしたら私が席を外しますけど、と言ってみたところ『お前は黒霧と留守番だ』とトガちゃんを連れて行ってしまう。それについて見覚えがあったりなかったりの数人が部屋を出て行き、その場には私と黒霧さんだけが残された。
 さて、なんか聞いても答えてくれることは無いだろーなあ。参謀ポジっぽいしなあ黒霧さん。

「……なんか死柄木さん、ちょっと落ち着きましたよね」
「思うところがあったらしいですよ、彼も」
「へえ。なんだかんだステインさんと仲良かったんですかねー」

 当たり障りのなさそうな返答をしたはずなのに、表情のない顔が『マジかよ』の顔を向けてきているのがわかる。マジかよ。

「…………ヒーロー殺し捕縛の件が彼に影響を与えていると? 思いますか? 貴女は?」
「え…… そういう話でしたよね今の……?」
「……まあ……間接的には……結果的には、そうと、言えないこともないような気がしますね」

 めちゃくちゃ歯切れが悪い。なんだなんだ、なにかまずいことを言ったのか私は。考えてみるものの、さっぱりわからない。死柄木さんが落ち着いたねって話が? 思うところがあったらしいよって? この状況で? ステインさんが捕まった以外に何が……?

「……あ、仲間が増えたからってことですか! トップとしての自覚がどうのこうのですか!」
「ええまあ」

 同意を得られたはずなのに流された気がする。遺憾の意。

「守るものがある、というのは、ひとを強くするものです」
「あー、お子さんが生まれたお父さんが張り切るみたいな話ですか」
「察しがよろしいですね」

 なんだ間違ってないじゃん。でも部下をお子さん扱いか、死柄木さんお若いのになあ。それとも若い人の方がそういう気持ちは強いもんかな。ちょっと微笑ましいというかほのぼのしてしまう。実態はヴィラン連合だけどね! 世間様に迷惑かけにいこうぜって話だけどね!

「立場が人を作るってのはありますもんねえ。意外と社長向きだったんですねー」
「……ところでさん、先程のお話の想い人とは?」
「え、私のですか? いや振られてるんですよ、まあ私も望みが無いのはわかっちゃいたので」

 振られたって言っていいのかはわからないけど、……いや振られてんなアレ。少なくともスルーはされている。だけど、だからって先生を忘れられる気はしないし、あの人を想う気持ちが少しでも減ったかというと全然そんなことはない。増えてはいないけど、変わっていない。
 変わらず先生が私の好きな人で、尊敬する人で、指示を仰ぎたいたった一人だ。恋人になれなくても、傍にいられなくても。

「……」

 同じ世界に、生きていなくても。
 あの人に恥じるようなことはしない。
 あの日、胸を張って、前を向いた。大口を叩いた。大丈夫だと笑ってみせた。次に行きますって言ったんだ。その虚勢を、本物にしてみせる。

「……わかっていたので、今でも私の、大事な人です」
「…………それは前後の文脈が繋がっていませんね」
「あは、そうですかね」

 そうかもしれない。私だってこれが恋かどうか未だに疑っている部分がある。だけど他に、名前を見つけられないでいる。好きで好きで好きで好きで、胸が潰れそうに恋しくて、あの人のために強くなりたくて、そう思うことを許してほしくて。

「……実らなくてもいい、っていう想いを知っているのは、幸福なことだと思います」
「……女性のおっしゃることは、よくわかりませんね」
「私が特別愚かなだけかもしれませんよ」

 恋する女はみんなバカとは言うけどな! しかし恋バナをしてみてもぜんぜん楽しい雰囲気にならないな私。ウケる。相手と自分が悪い。いっそ他人事か、漫画やドラマの話の方が盛り上がるかもしれない。

「トガちゃんみたいな恋をしてみたいもんですねえ……」
「……あれも……どうかと……」
「お、黒霧さんそういうこと言うの珍しいですね」
「内密に願います」
「ふふ、はい」

 いいと思うけどな、それまで関わりのなかったヴィラン連合に飛び込んじゃうような変化を持ってくる恋も。内情はどうあれ。ステ様になりたいまではともかく殺したいまで行くとよくわかんないけども! いや逆かな……殺したいまではわかる……? なりたいはよくわからん……? コスプレ……? なんか恋から遠ざかったな。

「死柄木は」
「はい?」
「死柄木は―― 貴女を既に、身内と捉えているのかもしれませんよ」
「…………」

 急に。そんなことを言われて、思考が一瞬停止する。
 死柄木さんが、私を、身内と? 仲間と?

「……勧誘って、建前じゃないんですか」
「そう思っていらしたんですね」
「あっすいません、…… え、でも、……ええ?」

 身内? 仲間? 私すっごい断り続けてるけど? なんで? メリットはどこにあるの? その意味は? 必要性は? ていうか私の意思は? まで考えたところで、『既に身内』という単語に寒気のようなものが走る。
 身内――たとえば、飼い犬のように捉えていたとしたら、目覚めてからの妙な態度も納得がいく。ペットだとすれば別に役立つ必要なんかない。他の人間にベタベタされたくないのも、まあわかる。だって俺の犬だから。多少わめいて抵抗してツンツンしても、逃げさえしなければ。ここは俺の庭でこいつは俺の犬だから。
 ……いやいや。いやいやいやいや。

「えっ……おっ……わ……私、人間ですけど!!」
「存じておりますが」
「違うそうじゃない!」
「さて、私も打ち合わせに参加してきます」
「今?!」
「死柄木と交代します」
「今?!?!」
「お元気になられて何よりです」

 ぜんぜん喜ばれてる気がしねえ!!!
 性質の悪い冗談かと思いきや本気で入れ替わり死柄木さんがやってきて、大人しくしてただろうな、と声だけ不機嫌に手を伸ばしてくる。五指で触れれば何もかもを崩せるという手を、一本だけ浮かせる形で頭に触れる。あらゆる意味で硬直した私に、愉しげに笑ってみせた。
 これ、私、理由とか意味合いはどうあれマジで気に入られてしまっているのでは? なんか期待というか思ってたのと違う感じで好感度が上がってしまっていたのでは?
 はずみで触れてしまうのを恐れるあまりぴくりとも動けない私に、彼はますます笑みを深めて『いいな』と独り言の声で囁いた。なにが!!! いいと!!! いうのだ!!! と叫びたいものの、やはり硬直したまま動けない。



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2019.01.24