もっと酷いことを、言おうと思えばたぶん言えた。
 自称ヒーローと自称ヴィランに何の違いがある。おまえらのやってる超能力バトルは、結局のところ俺が強いと叫び合っているだけだろう。力を力でねじ伏せる、その一点において何が違う。世間が味方に付いている、社会を前提とした側とそうでない側の違いだけだろう、何がどう違うっていうんだよ、教えてくれよ、そのご自慢の個性を使わずに示してくれよ。
 ――それらを口に出さなかったのは、八つ当たりを多分に含んでいる自覚があるからだ。それから少し、傷ついた。自分で言った言葉に、自分で。

(ヒーローのいる世界の子供)

 この物騒な子も、緑谷くんも心操くんも、多分そういうことなのだろう。
 私はあまり見てこなかったけれど、この世界には理想的なヒーローがいるらしい。オールマイト。授業を受けたことは無いけれど何度か接したことはある、気さくで優しげで少し抜けたところのあるひとだ。『いつも笑顔で人々を助ける』『いつも笑顔で、余裕の態度で敵を蹴散らす』。先生にはなかった要素だなと、ぼんやり思う。
 思わずいい加減にしろよと言ってしまった彼の態度は、虚勢や本人を奮い立たせるためでもあったのだろうが、おそらくそれ以上に――もしかしたら彼自身も自覚していないかもしれないほど、根本の部分で。『ヒーロー』を信じている。彼は拘束され敵対組織に攫われ、得体の知れない女と二人きりにされているこの状況でなお、助けが来ると信じている。そして実際に助けは来るし、彼は助かるのだ。

(……)

 私は。
 とてもそんなこと、思えなかったよ。

 初めて誘拐されたのがいつだったのかはよく覚えていない。なんか知らない人に手を引かれて知らない場所まで連れていかれてこいつはやべえと逃げたのが最初だっただろうか、それとも車に連れ込まれた時。荷物のように小脇に抱えられてバイクで走られた時。お母さんが大変なんだよ病院へ連れて行ってあげると声をかけられた時。それとも、それとも。他にどんなパターンがあったっけ。

(……信じる者は救われる…… 求めよさらば与えられんだっけ?)

 どっちが相応しいのかわからないが、そしてそれらがどっちの世界の言葉だったか忘れたが、私は確かに信じることも求めることもしなかった。だからだろうか。だから彼はこのあと助かるし与えられる、し、――私は――
 ガタン! と音がして、ソファから身を起こすと彼が再び椅子ごと倒れていた。

「……もしかして倒れてる方が楽だったりする?」
「んなわけあるか起こせや!!!」
「おお……身勝手ェ……」

 この子の怒り方ぜんぜん理解できないな……。万一個性を発動されてもいいように、てのひらに当たらないよう正面から抱き起す。一瞬ものすごいキレ顔を披露されたが何か叫びそうな口は瞬時に引き結ばれたので、さっきの忠告効いたんだろうか。そうだと思いたい。

「俺は……オールマイトに追いつき……オールマイトをも超えるヒーローになるんだよ……!」
「ああそう……がんばれ……?」
「だからどんな敵にだって立ち向かうし、どんな、……」
「……?」

 なんで所信表明? ていうか私に宣言したところで意味はあまり無いのでは? と首を傾げてしまいつつ、遮る理由もないので聞くだけ聞くつもりで、起こした彼の真向かいに立つ。ぐらぐら揺れる赤い瞳が、それでも前を見据えようと大きく開かれている。
 ヒーローのいる世界の子供。
 また、そんなふうに思う。彼にはヒーローがいる。信じられるものがある。そこに向かって努力するつもりでもある。だからきっと、ヴィラン連合が何をやったって無駄だろう。――死柄木さんはきっとこの子を引き入れたいのだろうけれども。もし引き込めたら、たしかに大きな力になるのだろうけれど。信じるものが違うんじゃどうしようもない。ここのところ急速に落ち着きを増した、けれどまだまだ幼さの残る暫定トップを思い返す。ヴィランを名乗るような人だ、悪人ではあるのだろう。ヴィランだろうがヒーローだろうが武力を手段とする人には私はそもそも近付きたくない。そういう意味で、あまり身近にいたいタイプではない。だけど、でも、……おそらくあの人にも、成したいことがあるのだ。それはまるっきり『なんとなく』『勘』としか言えない予想だが。

(……最終的な目的地は、きっと似たようなもんだろうになあ……)
「だから…… オールマイトに救えなかった奴だって――」

 ……その先が紡がれるよりも早く、背後で薄い刃が開かれるような気配がした。

「、」
「やあ、調子はどうかな」
「…… どうも……おかげさまで……」

 反射的に椅子ごと彼を蹴り飛ばし背後に隠したものの、相手は死柄木さんの『先生』――未だどう呼んでいいのかわからない相手だった。急に転ばされ、驚いてか言葉を失っている男の子にちらと視線だけで謝罪を送り背を向け、改めて向き直る。肉体が膨らんで見えるような威圧感に、そろそろ慣れたつもりだったのに。

「ふむ、……自我ははっきりしているようだ。なかなか無茶をさせてしまって、すまなかったね」
「いえ……」
「それでどうかな、気は変わったかい? 繰り返し、要らないと言っていたことは覚えているかな?」
「……すみません、あまり覚えていないんです。でも、私が言いそうなことですね」

 ヒーロー科くんの存在と、彼に対する私の一連の行動を見えていただろうに。もしかしたら私や彼より理解しているだろうに、まるっきり放置して、常と同じようにゆったりと話す。

「未だ個性は不要だと?」
「……今だからです。私が四歳以前であれば違ったかもしれません」
「君はまだ若いから解らないかもしれないが、この先の人生の方がおそらく長いよ」

 少し笑う。その通りだ。無個性として生きてきた大体十年よりも、有個性になって過ごす時間の方がおそらく長い。この人が何歳なのかは知らないが、成人女性の記憶が『確かに』と頷いている気配がする。

「……」

 目を閉じる。瞼の裏に映る人はいない。私に、こんな場で思い浮かべられるような相手はいない。そういえば死の間際(と思っていた)あの瞬間にも、思うことはあまり無かった。――どぶをさらうようにして拾い上げた幾つかの記憶は、少し気になる女の子とか喧嘩したままの友達とか、一方的に思い入れを持っている男の子やその母親で。空虚な人生に、我ながら呆れ返る。笑うしかできない。
 少し振り返って、倒れたまま黙り込んでいる目を見開いている男の子を眺めた。この子だったら、緑谷くんや心操くんや焦凍だったら、オールマイトを思い浮かべたりするんだろうか。彼らのヒーローを、神様のような存在を。誰かに、何かに、力づけられたり、気持ちの支えにしたり、いつか貰った言葉を握りしめて戦っていくことができるんだろうか。

「……」

 目を逸らし、一歩出て、彼を自分の影に入れる。
 別に彼を庇おうとして取った行動じゃない。そんなことしなくたって、少なくとも現時点でのこの人は彼にそれほど興味を抱いていない。ただ、顔を見られたくなかっただけだ。この人以外の誰にも。

「そうですね。――私の選択は愚かです。千載一遇のお誘いを跳ねのけて、手に入れようとしているのは面白くもない日常の延長です。家族からすれば迷惑な存在です。無個性の失敗作、存在すら隠したいような双子の姉、同僚に語ることもできない妹、見るたびに罪を思い知らせてくる娘、……この三年間が終われば切れる縁を、守る必要なんてきっと無い」

 私はきっと、呪うような声をしている。

「……それでも、その足を留め続けているものは何かな」
「……意地みたいなものです」

 眼のない貌で全てを見通しているようなこの人にでも、まさか前世の恋なんてものが理解できるとも思えない。私にだって、ぶち込まれた個性や薬物や幻覚の影響じゃないなんて言えない代物だ。先生。ジェノス。お父さん。お兄ちゃん。憧れた先輩や友達。優しくしてくれた近所の人たち。物騒で命の価値がめちゃくちゃ軽くて、だけど失ってしまったからだろうか、麻薬のように輝き続ける幸福の記憶。

「以前、君に言ったことがあったね」
「……なにをでしょうか」
「『君には希望も絶望も足りない』――さて、君が目的を見つける一助となろうか」
「え」

 音もなく顔に手が翳され、ぶつんと意識が途絶えるその瞬間が、異様に鮮やかだった。



「うおっビビった! そんなとこで何やってんだお前」
「………… せんせ……」
「うわボロボロじゃねえか、大丈夫か。今助けてやるからな」

 霞んだ視界に、それでも眩しい光がちかちか揺れる。それが先生の頭に反射した太陽光だと理解した瞬間ぶはっと笑ってしまって、衝撃にか左脇腹が痛みに引きつった。

「やっぱ元気そうだな」
「いやいやごめんなさい元気じゃないです、元気じゃないですから助け、 ……」

 はっきりした視界に先生の仏頂面が映って、顔が勝手に笑ってしまう。先生。先生だ。そうだ怪人を――でかめの怪人を、追っている途中だった、そして。
 そして私の肉体は瓦礫の下にある。ほとんどを潰されている。

「……」

 急速に頭が働く。肉体の半分近くを失って流れ出る血が、最後の気力で頭に巡ろうとしているかのように冴え渡る。私は助からない。先生は、助かると思って足を止めた。

「……さっきジェノスもボロボロになってて、私もドローンに救助信号出したんで大丈夫です。先生、怪人あっち行きましたから、追ってください。急いで」
「でもお前そのままだと痛いだろ」
「大丈夫ですよ! それよりあの怪人普通は倒せませんから! これ以上の被害が出る前に行ってくださいよ先生」

 そうだ、先生じゃなきゃ倒せない。タツマキさんやゾンビマンさんなら可能かもしれないが、S級ヒーローを待つには時間がかかりすぎる。焦りを顔に出さないよう努めて言うと、しょうがねえなと言わんばかりに先生が拾い上げていた瓦礫を放り投げた。

「じゃー行くけど、大人しくしてろよお前。すぐ戻って来っから」
「はい、先生、……せんせい、」
「ん?」

 踵を返して走り出そうとした先生が、わざわざ律義に振り返る。喉の奥から溢れ出そうになったなにかを反射的に飲み込む。
 先生。
 ヒーロー。

(最初の死)

 ずっと忘れていた、最初の死。
 顔が勝手に笑って、口が勝手に動いた。

「気を付けてくださいね! やられちゃだめですよ!」
「? おう」

 軽く手を振って去っていく背中。翻る赤いマント。いつも、いつも、あの背中を見つめていた。死の間際までもそうだった。

(……そうだったんだ)

 前を向いたまま息絶えていく肉体。視界はすぐに霞んで見えなくなって、音だけは長く聞こえていた。遠くに聞こえる救急車の音、消防車の音、誰かの泣き声、叫び声、先生が怪人に辿り着いたのだろう、地鳴り。先生。先生。先生。私のヒーロー。ヒーローでいてください、先生。
 死ぬまで、死んでも、自覚できなかった恋を、それでも最後の一瞬に言葉になろうとした恋を、私が殺した瞬間の記憶。

(……ごめんな)

 誰に謝罪しているのかもわからない。
 ヒーローでいてほしかった、ヒーローになりたかった、あの人の傍にいるに相応しい存在になりたかった、先生にも弟弟子にも恥じないヒーローになりたかった、そのために。自分で自分の恋を殺した。それに後悔は、おそらく無い。たとえ時間が戻っても同じことしかできないだろうと思う。
 だけど―― 同時に、あの瞬間。ヒーローとしての私も、死んだのだろう。
 もう何者でもなくていい。
 ヒーローになんてなれなくたって構わない。

 好きな人に好きだって言えるようになりたい。他に、なにも、いらないから。


「…………」

 ぱちんとシャボン玉の弾けるような感触がして、開いた視界は白々とした蛍光灯に照らされていた。

「やあ、ご苦労様。なかなかいい演出だったよ」
「……演出? ですか?」
「ああいや、誤解しないでほしい。君へ伝えたことはすべて本心だし君の言葉も本物だと知っているよ」

 意味をすぐには呑み込めず、首を振って周囲を見回す。薄暗いバーの内装はどこにもなくて、どこかの工場のようなコンクリートの一室だ。
 天井は低いようなのに、やたらと広い。ヒーロー科くんの姿もなく、遠い窓の外には夜の景色が見えた。

「あの、ここは、どうして、……じゃないな、ヒーロー科くんの前で……お話をしていた記憶が最後なんですが、それからどうなったんですか?」
「うん、君のそういうところが気に入っているんだ」

 答えてくれるまでは少し時間がかかりそうだ。とはいえ私も頭がぼうっとしてしまっていて、複雑な話を理解できる気はしない。
 否定はされなかったので、とりあえず時系列がまた動いたとかいうことは無さそうだ――見下ろす身体は雄英の制服にトガちゃんのカーディガンを羽織ったまま。特にボロボロになっている様子もないし身体にも、今のところ痛みや違和感はない。時間もそれほど経ってはいないと考えていいはずだ。

「夢を見ていたのかい?」

 疑問形だが、確信した口調だ。
 夢を見ていた――見せられていた。あのストーリーを作って? それは無さそうだ、メリットが無いし私がシナリオライターだったら前世の記憶云々なんてものはまず組み込まない。構成が面倒くさすぎる。可能ならもっとあやふやな、一般的な、それでいて理解してもらいやすい感じの――誰にも共通していそうな部分の―― そんな薬の名前を、聞いたことがある。あのバーに入って最初の日に渡されたものの、トガちゃんに貸した上着に忘れてしまった錠剤。末端価格けっこうしますよ、ソレ。無邪気なほどの声。

「…… リフレイン、ですか?」
「おお、よく知っていたね」
「……幸福な記憶を見せるもの、だったと思いますが」
「プラスを選べるんだからマイナスを選ぶこともできるさ」
「なるほど」

 素直にそう出た。なるほど。本人さえ忘れているような幸福の記憶を掘り起こすことができるのなら、本人が追いやってしまった絶望の記憶だって見つけられるはずだ。
 ――君には希望も絶望も足りない。 その台詞を思い出し、腑に落ちた気分で目を閉じる。先生、ごめんなさい。そりゃ『俺のせいだ』って思うかもしれませんねあの状況なら。いやーどっちにしろ助かりませんでしたわって、それは私が死んだ側だから言えるわけでして。さーせん。かつての師匠にちょっと軽いかもしれない謝罪を捧げつつ、――言えなかった言葉を舌の先で蠢かせてみる。

 好きです。
 好きでした。
 本当に死ぬほど、死んじゃえるほど、それでも殺しちゃえるほど、あなたが好きで好きでたまらなかったんです。

「――だけど、どうしてだろうね、君は」

 革靴の底がコンクリートを叩く音がする。

「絶望を見てきた人間の顔をしていない」
「……同じところにあるんです」
「?」
「私の希望も絶望も、同じところにあるんです。……ありがとうございます」

 深く、頭を下げる。
 ここでお礼を言うのは微妙だとはわかっていた。そもそもこの人は善行を働くつもりではないし、望んだ状況に繋がっていない。おそらく多分、私が追いやっていた悲劇を思い出して改めて絶望し投げやりになり個性や薬をぶち込んで、一部にちょっとだけ効果のあるヴィランに成り果てるのが望ましかった。
 悪意か害意のどちらかで行われたことだ、あくまで私にとって結果オーライでしかない現状に、お礼を言うような筋合いはない。
 だけど、先生。先生。私を助けようとしてくれた先生。生かそうとしてくれた先生。私が裏切って見殺しにさせた先生。好きだって言えなかった。自分の恋より、死に際の意志より、先生の夢を優先したかった。
 ヒーローでいてください、先生。
 グロテスクだ。献身のふりをしたエゴだ。だけど一度目も三度目も、その気持ちだけで最後の瞬間まで呼吸ができた。三度目の最後の瞬間、笑ってくれた。
 私はセイレーンであれましたか、先生。私はあなたの弟子として相応しい振る舞いができましたか。先生。思い出して、思い出せて、私はようやく、自分を赦せたような気がするんです。

「……思い出させてくれて……ありがとう、ございます……」

 私の希望も絶望も、先生のところにある。
 それだけのことがどうしてこんなに胸を満たすのか、自分でもわからない。ただ引き換えに殺した恋が今に繋がっているのだとしたら、絶対に放り出してはいけない。

「個性は要りません。……何も持たない存在になりたいって、私がそう願ったんです」

 上半身を戻し、顔を上げて笑う。
 涙が止まらないのに、引き裂けそうに苦しいのに、同じくらい嬉しくって誇らしい。今までの人生で、いちばん自分を正しいと思う。間違っていないと思う。自分は生きていていい存在だと、百パーセント断言できる。
 首を左右交互に傾げていた(この人はたまにそうしてあざとげな仕草をする)人は、やがて呆れたように肩をすくめて溜息をついた。



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2019.03.15