心操くんは善人だけどちょっとバカなようなので、ちょっとお人好しが過ぎるようなので、例のことについては考えるのをやめた。考えといてって言われたけど長い時間のうちには『置いておく』ことも考えてるうちに入るので中断した。生活に支障が出るので!
 寮入りが決定したからか、それまでグダグダやっていたのが嘘みたいに退院の許可が出る。その際にお医者さんや看護婦さんに何故か謝られ、ついでに何かあったらすぐに来るようにと診察券を渡されたけど、……起きたばっかの時に繰り返しあった個性検査の件が響いているんだろうか……。私の無個性なのはヴィラン親玉のお墨付きなので心配はいらないのだけれども。まさかそんなことを言えるはずもなく、曖昧に頷いて受け取った。どっちに転んでも疑惑の目が向けられている。つら。しかし寮生活が始まるわけで、私としても世間としても多少は安心できるだろう。雄英の先生方やヒーローの皆さんは苦労が増えるかもしれませんが仕方ないねよろしく! お仕事おつかれさまです!
 というわけで荷物を取りに一時帰宅が許された。寮に入ってしまえば外泊は許可制になる。ついでに私の場合は卒業しても実家に戻るかどうかわからない。事実上、これを最後と認識しておいた方がいい。と、いうのは、私だけの認識のはずだけれど。

「おかえりなさい、
「――ただいま、お姉ちゃん」

 姉があまりに儚げに微笑むので、罪悪感のようなものを覚える。お昼くらい食べていけるんでしょう、お姉ちゃん頑張って作ったからね。そう言ってぱたぱたと駆けていく背中が記憶より小さい気がして厭になる。大丈夫なんだろうか、あの人。

(ってなあ……考えすぎるのもよくないんだよな、きっと)

 溜息をついて玄関の中へ入る。自宅、そして自室。実際の時間は二週間かそこらだけれど、『三度目』を経たせいだろうか、ずいぶん久しぶりで落ち着かず――他人の部屋のように感じられた。自分と姉しかいないはずの家なのに、空気がなんだか重く粘っこい。
 振り払うように溜息をついて、ドアの内側にあった自分の学校鞄を拾い上げる。以前詰め込んだ上着はそのまま入っていた。とりあえず教科書類かな、と近付いた机には、ぽつんとハートの折り紙が乗っていた。

(なんだこれ)

 見るからにノートの切れ端で折られたそれに、覚えがない。女の子同士で授業中にやりとりしていた手紙によく似た、だけどそんなことを最後にやったのは中学時代だ。中身を開くも、何も書いていない。不思議に思いつつハート型に折り畳み直す。およそ折り紙の用途では作られていない紙を畳んで作る、女の子の間でだけ飛び交うハート。これを作った子は作り慣れているのだろう、線がまっすぐで迷った痕跡がない。私でも折り直せる。

「……、」

 甘い香りを感じた気がして鼻を寄せるも、何も嗅ぎ取れない。だけど――トガちゃんのような気がした。
 小さなハートを胸に抱く。元気かな、無事かな、怪我してないかな。一緒に行けなくてごめんね。いや一緒に行ったところで確実に足手まといなんだけど。……元気で、笑ってくれてると、いいんだけどなあ。

(……きっと、いつか)

 いつかあなたを助けるからね。
 そのための種を蒔いていくから。
 ハートと、それからいつか彼女に貸した上着と袋をトランクに詰める。いつまでも取っておくようなことはしない、けど、この部屋からは持って行こう。
 教科書、授業に必要なノートや筆記用具、下着や着替え。洗顔料や歯ブラシ類、最低限の生活必需品を選んで詰めていく。そこそこの量にはなったものの、決して大きなサイズではないトランクひとつで足りた。服やら本やらまだ有るけれど、わざわざ寮まで持って行こうとは思わない。寮だって大して広くはないのだろうし、家具を揃えるにしても実際の場所を見てからサイズを検討した方がいいだろう。
 やることがなくなってしまい、手持無沙汰に床に座る。膝を抱えて天井を見上げる。十数年過ごした自室だ、思い出せることなんて幾らでもある――はず、なのだけれど。

「……」

 昔はよく焦凍に押しかけられていた。それぞれ個室を持っている意味がないくらい一緒にいた。
 私は二度目の人生を、『個性』というものに面食らいつつも受け入れていて、おそらく幼児らしくない部分もあっただろうけれど特にそれが騒がれることもなかった。双子の弟が甘えただったので、必然的に世話焼きになったと捉えられたのだろう。事実彼は私を姉と呼んでくれたし、素直で可愛い弟相手にお姉ちゃんぶるのは嫌いじゃなかった。
 って無理やりに優しい記憶を掘り起こしてみてるけど、どうあがいても個性と無個性が判明してからの家庭崩壊に繋がるんだよなあ……。探せば家族写真の一枚も出てくるのだろうけれど、出てきたところで、ねえ。眺めるたび微妙な気分になるだけだ。お姉ちゃんや夏兄の写真ならスマホに入っている。
 横にしていたトランクを立てて、自分も立ち上がった。

! もう準備終わったの?」
「うんまあ……いいにおいする。揚げ物? 唐揚げ?」
「そう。好きでしょ
「好きー」

 匂いにつられるようにして入った食卓には、到底ふたりでは食べきれなさそうな量の料理が並んでいて一瞬びくっと足を止める。唐揚げ二種類、油淋鶏、エビフライとんかつカキフライ等揚げ物各種、サラダも葉物とかぼちゃと和え物っぽいのと三種類ある。と思いきや焼いた魚や煮物も数種類、その向こうに一口サイズのピザ。お客さんでも来るの……? 轟家が全員集合したとしても食べきれるか怪しいぞ? と凝視していたら姉がちらし寿司と思わしき桶を持ってやってきた、乗り切らないよテーブルに!

「冷蔵庫にケーキもあるからね! 麺類はのびちゃうから止めといたんだけど」
「いや、これ、なにごと? すごい量だね?」

 見たところ全部手作りだ、いったい何時からやってるんだ。お姉ちゃんは料理が上手いし手際もいいけど限度がある。

「――座って、
「う、うん……」

 微笑む顔は儚げなんだけどなあ。冷蔵庫に入れていたらしい刺身やテリーヌが更に運ばれてきて、いっそ圧を感じて黙り込む。
 お昼くらい食べていけるんでしょう、と言われた時点ではサンドイッチとコーヒー程度を想像していた。なにこれ宴……? なんの……? ようやく向かいに座った姉が、ちょっと張り切りすぎちゃった、と照れくさそうに笑う。笑顔かわいいんだけどさあ……そして張り切りすぎちゃったには完全に同意なんだけどさあ……。誰か来るの? と思ってみても、この状態で誰かが来たところでもう座るスペースが残っていない。取り皿もお互いの前に一枚ずつあるきりだ。

「じゃ、いただきます! いっぱい食べてね!」
「いただきます……」

 いっぱい食べるって言っても限度が。ひとまず葉物を食べようかなと腰を上げて、届かないと察してくれたのだろう、サラダボウルを渡してくれる。

「ありがと」
「うん、……は、サラダが好きなの?」
「? 好きだけど……だいたい全部好きだよ」

 葉物のサラダも、かぼちゃサラダも、ブロッコリーとタコをメインにしたジェノバソース和えっぽいサラダも。というか嫌いな食べ物っていうのが基本的にあまり無い。知られてると思ったけどな、と首を傾げていると、『そうじゃなくて』とか細い声がした。

「そうじゃなくて、……そうじゃ、なくて、」
「……お姉ちゃん? どうしたの」
「……、……、」

 じわ、と眼鏡越しの眼に涙が滲むのが見えてさすがに焦る。咄嗟に皿を置いて回り込もうとしたところ、察したのか無言のまま手で制された。
 大人しく腰を落ち着け、姉が涙を拭うのを見つめる。眼鏡をかけ直し、再度笑ってみせる――今になって気付いたけれど、今日の姉はずっと笑っている。相手を安心させるための笑顔で。

「私―― 私、なにも、知らなくて」

 だけどそれはすぐに掻き消えて、せっかく拭った涙が、俯いた眼鏡の表面に落ちた。

「何も知らなかったの、ずっと、……が、誘拐されてたなんて」
「……いや、この前のアレは私の日頃の行いも悪いっていうか……なんか細工されてたんでしょ? 仕方ないって」

 黒霧さんの言い方的に、私が自主的にいなくなったような形になっていたのだろう。そもそも夜中に家を抜け出したり朝やたら早く家を出たり、家事を分担している立場としては私の『家に居たくありません』を感じ取っていたのだろう。色々誤解をしても仕方がない。

「この前じゃないの、ずっと昔、」
「?」
が――小さいころ、何度も、誘拐されてたって」
(うわ)

 なんで知られてるんだ。誘拐っていってもぜんぶ未遂だ。普通に『トイレ行きたあいー』で逃げ切れたこともあれば『いやあごめんなさい! いたいことしないで!!』と街中で絶叫することで善意の他人に通報してもらったこともある、たまに本格的なのもあったけれど、どれも骨を折るほどには至っていない。ぜんぶ大した話じゃない。
 ――って言ってもあんまり効果はない気がする……むしろ逆効果な気がする……。

「……お姉ちゃんだって小さかったんだし気に病むようなことじゃないよ、私も意味わかってないことが多かったし、知らないおじさんおばさんにクレープ奢らせて逃げただけっていうか」
「……知ったときね、なんで教えてくれなかったんだって思った」
「それはそうよねごめんなさい……」
「だけど――」

 細い肩が震える。眼鏡をはずした顔を片手で覆う、その瞼から涙がぽとぽと落ちていく。
 母の泣き顔も、こんな感じなのだろうかと、遠くで思った。

「……私……の、好物も、知らなくて」
「――」

 どきりとした。何故か、その一言に。
 周囲を埋め尽くす料理の数々、左右に視線を走らせる。まだ熱い揚げ物と冷えてしっかり固まったゼリー寄せ。味の染みた色をしている煮物。瑞々しいサラダ。

はいつも美味しいって言ってくれたから、なんでも食べてくれたから、……私、に、なにが食べたいかって聞いたこともなかった……」
「…………」
「なのに、どうして何も言ってくれなかったのって、誘拐されてたなんて知らなかったって、鞄も―― メモも―― ……違う……気付いた、はずなのに」
「お姉ちゃん」
「気付けたはずなの、私達、なのにずっと、をずっと、放って」
「お姉ちゃん」
「ご、……ごめんなさい……」

 手放された眼鏡が落ちた音がする。とうとう両手で顔を覆って泣き出した、その掌の隙間から水滴が落ちていく。反射的に腰を上げ、今度は、意図して座り直した。
 優しくて綺麗なお姉ちゃん。まっすぐで誠実なお姉ちゃん。このひとを前にすると、問答無用ですべてをかなえてあげたくなる。大丈夫だよ、心配ないよ、元気出して、泣かないで、笑って。そう言ってすべてを差し出してあげたくなる。まるで幼い娘が母親にそうするように。

「……言っても、しょうがないって、思ってたんだ」

 私は姉に、母性を求めていたのかもしれない。
 実の母から得られなかった母性を求め、向けることのできなかった愛情を向けることで満足しようとしていたのかもしれない。

「誘拐、とか、そういうことが増えたのは、私の『無個性』が判明してからだったし――その頃はもう、家の中ゴッタゴタでさ。……エンデヴァーさんも、一番ひどい時期だった」

 末の双子が無個性と複数個性。彼なりに思うところもあったのだろうし、罪悪感のようなものから逃げたいあまりに却って熾烈になっている部分もあったのかもしれない。もちろん純粋に、焦凍の個性に浮かれ切っていた可能性も捨てきれないが。ともかく当時の彼が、私に構うとは思えなかった。あと割とマジギレさせた直後だと思う。この劣等種が! のくだり、正直言うと今になって思い返してもちょっとウケる。これは黙っておこう。

「実際、家政婦さんとその旦那さんにだいぶ助けてもらって、警察の人も優しかったから――無事に済んでるし、まあいっか、って。……だけどそれが、お姉ちゃんを傷つけることになるって、わかってなかった」
「違うの」
「え」
「この期に及んで、私に気を使わせてる、私が、情けないの」
「……」

 今度こそ、腰を上げる。隣へ行って姉に寄り添い、細い肩を抱いて揺らす。手元にハンカチが無かったので箱ごとティッシュを姉の膝に置き、その頭を撫でた。抵抗なく下がった頭を、膝を立てて抱きかかえる。父と母の特徴を宿した髪。私とは全然似ていない色彩の、私の姉。

「お姉ちゃん、ごめんね、大丈夫だよ、ありがとう」

 同じ言葉でしか伝えられないのがもどかしい。でも本当のことなんだ、本心からの言葉なんだ。申し訳なく思ってる、ありがたく思ってる。私は、実際に大丈夫。

、」
「ごはん食べよう。私のために作ってくれたんでしょ?」
「……うん」
「私ね、お姉ちゃんのごはん、全部好きっていうのも本当なんだよ」

 圧を感じるほどの料理の数々が、正しい温度を失っていく。だけどこれら全部、私のために作られたのだ。今まで放置してしまったと気付いた相手の、何も知らない相手のために、精一杯、できる全部をしてくれたのだろう。和洋中、揚げ物、蒸し物、生もの、焼き物、煮物、和え物。酸辛甘塩。あまりの豊富さに笑えてくる。

「ね、余ったら持ってってもいい?」
「……もうタッパーに詰めてある」
「どんだけ作ったの」

 思わず真顔になって問うと、姉もようやく笑ったようだった。


「お姉ちゃん、私ねえ、……しばらく、ここには帰らないでいようって思うよ」

 ちょっと勇気が必要だったその言葉に、姉は意外そうな顔はしていなかった。
 トランク一個(余ったスペースにタッパーを詰めた)と、大きな紙袋(中身はすべて食糧)を提げた私と玄関先で向かい合う。本当はいつも、こんな顔で送り出してくれていたのだろうか。両親のことも、夏兄のことも、焦凍のことも。きゅう、と胸が痛むのを感じる。姉を一人にしたくないと思う。だけど――それは多分、自傷のようなものだと知っている。

「……私、お姉ちゃんのこと大好きだから。お姉ちゃんの望むこと、なんでもかなえてあげたいって思っちゃうんだ」

 幸せな家族ごっことか。
 なにひとつ不満のない妹のふりとか。
 焦凍のことを好きなふりとか。……いや嫌いではないけど、かわいい、ごめんかわいいは撤回する、とにかく思い入れのある弟だけど。

「だけどそういうの、私自身を削っていくようなもんだって、本当はわかってたんだ。……お姉ちゃんはそんなの、望んでるけど望んでないってことも」
「……がね、お父さんのこと、お父さんって呼ばなくなったの知ってるよ」
「え」

 そうだっけ。……言われてみればそうだな。確かに。自分で気付かなかった。嘘、私もしかして自分で思ってるより態度に出る……?
 というのが顔に出ていたのか、笑われた。それから少し、切なげに目を細める。

のそれは、夏とは少し違うんだってことも、わかってる」
「……」

 お父さん。私にとってのそれはもう、あの人を指す言葉ではないというだけだ。
 その意味を私自身、はっきり考えたことはなかった。

「なにが、いいのか――どんな形が相応しいのか、ちゃんと考える。お姉ちゃんも、に許してもらえる方法を考える」
「…………」
「だから、気を付けて行ってきてね。怪我とか病気とかしないでね、元気でいてね。たまに連絡してね。……いつか、かえって、きてね」

 とても聡くて優しい人だ。荷物を置いて両手を伸ばすと、姉は目尻を拭って笑う。

「お姉ちゃんのそういうところ、大好きだよ」

 ぎゅっと抱いて背中を叩く。子供を寝かしつけるみたいに、もしくは、最後の別れの儀式みたいに。
 いつかこの家を懐かしく思うのだろうか、恋しく感じるのだろうか。そうだったらいいな、とは思えないけれど。

「いってきます」

 そう言うことはできた。

「……行ってらっしゃい。気を付けてね」
「うん!」

 玄関を開けて家を出る。門まで歩いて振り返り、手を振る。姉が手を振り返すのを見て背を向ける。
 さあ、轟の新たな一歩だ。

「送っていこう」
「…………」

 シュッと現れて車のドアを開けた姿――フレイムヒーロー、エンデヴァーの姿に、思わず背後を振り返った。驚いた様子の姉が駆け寄ってこようとして、なにかを察したのか顔を逸らす。えええ……?

「荷物を貸しなさい」
「ご厚意は大変ありがたいのですが歩きたい気分ですので遠慮します」

 口が勝手に喋った。こういうところが露骨なんだろうか私。方向転換して歩き出す、それが数歩も行かないうちに荷物を抑えられて止まる。振り返るがエンデヴァーさんは何か言う気配を見せない。なんなの……関わりたくないのはそちらさんの方ではないの……? こちとら無個性やぞ、一般人ではなくてヴィラン疑いにはなったけど……。

「監視ですか?」
「そうだ」

 一瞬の間があった。が、なら、まあ仕方がないか。

「わかりました、お願いします。……じゃあお姉ちゃん、またね」

 姉が手を振る。その顔が苦笑していたようだったけれど、車に入ってすぐさまドアを閉められてしまったのでよくわからない。



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2020.04.25