お姉ちゃん、元気?
 寮生活は順調に始まったよ。ごはん沢山ありがとう。ごめんなんだけど、悪くなっちゃう前にみんなで食べました。一部は冷凍したので時間かけて食べます! レシピ教えて欲しいって子がいたから、今度 ――まで打って、『いたから』を『いたよ』に直す。夕飯時に撮った友人達との写真を添えて送り、一仕事終えた気分で机に突っ伏した。新品の机の上には、同じく新品の写真立てが一つ。挟まっているのは写真ではなくて折り紙のハートがひとつきりだ。

(写真も入れよう……これで丁度いいかな)

 姉に送ったばかりの集合写真。豆粒サイズになってしまったけれど、クラス全員の顔が写っている。おそらくそう遠くない未来、この面子では二度と撮れなくなる。このハートの後ろに写真を挟む程度なら違和感もないだろう、そうしたら、――このハートを飾っていても不自然ではない。なんて考えるのは、ちょっとやましい気がしないでもない。

(トガちゃん今頃どうしてるのかな……)

 ――トガは好きですよ。
 ――やさしくてかっこよくて、寒がりなちゃん。

 ふっと吹き込むように囁かれた声を思い出す。甘くて少し苦いにおい。膝の上にのっかってきた柔らかな肉体。鮮やかな光に縁どられて笑う女の子は、悪い夢みたいにかわいかった。もしもあの時、理性を崩れるままに任せていたら、誘われるまま腕を伸ばせていたら、しあわせな泥の中で窒息してしまえたのかもしれない なんてことを、思って、写真立てを伏せた。

(落ち着けよ……落ち着けよ私……!!)

 退廃的なことを結構マジで妄想した。落ち着け。やっぱりあの時ちょっとくらい頂いておいてもよかったんじゃないかとか、思い出もらっといてもよかったんじゃないかとか、最後までしないにしてもキスくらいは許されたよなとか、違うだろう私! 違うだろう!!

(走ろう、頭を冷やそう……ごめんねトガちゃん……)

 こんな一人やれたかも委員会みたいなことをしてしまうなんてよほど疲れているに違いない。頭を働かせたくないときはひたすら走るか泳ぐに限る、走ろう。


 ていうか私、もしかして同性愛者……でないとしても、そっち寄りというか、女の子が好きなのでは? すごくすごく好きなのでは?
 前世含めて恋をしたのはサイタマ先生一人とはいえ、憧れの先輩にゾンビマンさんがいたとはいえ、フブキさんに一切強く出られなかったというか彼女の女王様気質はむしろ美しくて可愛らしくて好ましかった。先生の弟子でなければフブキ組に入っていた可能性は大いにある。タツマキさんに対してもついつい全肯定しがちというか、いや普通に勝てなかったのは大いにあるんだけど、……どうしても可愛くってさあ……。
 今の人生でも、そういえば私は姉に対して特別弱い。もしも夏兄とお姉ちゃんの立場が逆だったとしたら、手伝っただろうし味方にもなっただろうけれど――今ほど気遣っていたかというと、わからない。
 焦凍にしたって。もしも万が一、焦凍が女の子だったとしたら、彼が弟ではなく妹だったとしたら。
 ――好き。お姉ちゃんのことが、ずっと好き。私のものになってよ。
 紅白ロング頭の美少女を思い描く。お姉ちゃんとは違うタイプだけど、基本的にきれいな顔をしている。女の子だったら頬のラインがもう少し丸いかもしれない、火傷は――特に気にしないけど――オッドアイのちょっと天然入った美少女妹……。

(…………だいぶアリ…… いやいや、いやいやいやいや、落ち着けマジで落ち着け走れ足を動かすことだけ考えろ)

 煩悩を払うべく敷地を何周かする。空を眺め緑を眺め校舎を眺め、そうしているうちに気も晴れるに違いない。
 ――肌を照り付ける日差しが時間とともに和らいで、湿気は相変わらずだけれど多少は涼しく走りやすくなる。元々運動が嫌いなわけもない。何より意外と必死だった。
 だから、腕を掴まれるまでわからなかった。

「――、」
ちゃん、何周走ってるの! ヘロヘロじゃん!」
「え、緑谷、くん、どうし」

 問題なく立ち止まったはずの膝がかくんと落ちる。それを支えられて、ぶれた視界で空が真っ暗になっていることに気付く。あれ、走り始めたの昼間か、いいところ夕方だった気がするんだけど、今は何時だ。汗だくの腕がずるりと滑って、緑谷くんに支えられる。

「立って、立てる?」
「……はは、ちから、はいん、な、」

 まともに声も出ない。ベンチまで連れて行かれたものの、身体を支える力も残っていない。ぐんにゃりと背もたれに崩れる。
 焦った様子の緑谷くんが『すぐ戻ってくるから』『じっとしてて』と繰り返すのが聞こえたけれど、勝手に消える体力だって残っているわけがない。大丈夫だと言うつもりで笑って手を振ると、なんでか辛そうな顔をした緑谷くんが走り去り――ペットボトルを手にすぐに戻ってきた。もちろんそれに、すぐには返事もできなかったのだけれど。


「……はああ生き返る……死ぬかと思った」
「……めったなこと言わないで」

 お。珍しい。おこの気配。
 と思って緑谷くんを覗き込むと、気まずげに顔を逸らされる。なんでまた、と一瞬首をひねったものの、そういえばヴィラン連合事件の後に助けてくれたのは彼だ。よく覚えてはいないのだけれど。

「……」

 ……死ぬかと思った。本当に。今じゃなくて、あの日。死んだと、思っていた。
 たぶん、一度は死んだのだと思う。どうして今、こっちで生きているのかは知らないけれど。おそらくは一回死んで、あっちで生まれて――お父さん、ゴリ兄、十兄。先生。ジェノス。未練ばかりの『三度目』、幸せな記憶ばかりの『三度目』。すぐにヴィラン連合云々があったので考える暇もなかったけれど、……つらかった、本当に。魂の一部を千切られたような思いさえした。
 だけど、無ければよかったとは思わない。

「緑谷くん」

 うっすらだけれど、覚えている。
 ――抱き締めて。今だけ。
 今になって思うと、どうしてそんなことを願ったのだろう。飢えていたのだろうか、欲していたのだろうか、そんなつもりはなかったのに。轟家に求めても得られないものを、彼に求めたのだろうか。彼を両親の代わりにしたのだろうか。それとも、ただただ、……羨ましかったのだろうか、彼のことが。
 無個性の我が子を慈しみ、惜しみない愛情を与え、ようやく個性を発現させて、……そのうえで彼と付き合う無個性を、遠ざけようとしない母親。
 楽な道ではなかっただろうに、夢が重荷になった日もあっただろうに、諦めず力を手にして成長し続ける男の子。ヴィラン連合を発見して、出し抜いて、同じヒーロー科の仲間を救った。ついでみたいに、私のことも。

「……ごめん、あんまりはっきりとは覚えてないんだけどさ。助けてくれたよね」
「……」
「心配かけてごめんね、助けてくれてありがとう」

 本心からの言葉だったのに、むしろ苦しそうに息を呑む様子を見た。

「……僕は、なにも」
「……」
「なにも……」

 顔が逸らされて、握りしめられた拳が震えている。
 この子は何をそんなに思い詰めているのだろう。事実、彼の仲間は無傷だった。私がいることなんて知らなかっただろうに、私のことまで助けてくれた。ニュースやら何やらを見るにヴィラン連合はお世辞にも無事とは言えないし、オールマイトと引き換えとはいえ黒幕だって捕まえた。諸手を上げて喜んでいいシーンじゃないのだろうか。だけど俯いた横顔に歓喜の色は一欠けらもなく、焼き切れそうな後悔だけが渦巻いている。

「……」

 張りつめられて千切れそうな拳を、包むようにてのひらを乗せた。

「そんなことないよ」

 たぶん、彼には私とは違うものが見えている。私の知らないことをたくさん知っている。一般人には想像のつかないような悲惨さも、隠された悲劇も、表には出ない犠牲もあるのかもしれない。だけど――だから、私は伝えなくちゃだめだ。

「いてくれて嬉しかった。ありがとう」

 私が『三度目』を得られたのは、父や兄の腕に抱かれて穏やかな人生を過ごせたのは、あのとき緑谷くんがそうしてくれたから叶えられたような気がしている。最後の瞬間、抱き締めてくれる人がいたから。

「――……」

 大きな目の、髪と同じく鮮やかな瞳の輪郭がうるりと歪んだけれど、それは涙になる前に強く閉じられた。見えないのをいいことに、少し笑ってしまう。素直で、強くて、優しい。怖いくらい一生懸命で、つい手を貸したくなる。信じて、頼ってしまいたくなる。
 どこか固く開いた唇が、それでも優しく音を紡ぐ。泣くまいと作られた笑顔が、幼さを残してせつなげで、凛々しい。

「僕も―― 僕もあの時、君の傍に居られて、よかった」
「…………」

 ヒーロー、か。
 ふっと短く吐いた息に、安堵のような諦念のような、ようやく、なにかが終わったような感覚が、含まれているのが自分でもわかる。ようやく終わった。もう、終わっていい。私は、『私』は――終わっていいんだ。
 たとえ死んでも、そのために呼吸をしているような恋を潰してでも、優先させたかった夢。一番強い人になりたかった。先生に誰より近い人間になりたかった。そのためだけに志したものを、ようやく。

「……ありがとう」

 私は、ようやく本当の意味で、私になれたような気がしているよ。他の誰も知らないことだけれど。

「でもなんか、いつも助けてもらっちゃってるねぇ。この前といい今日といい」
「……そうだよ、ちゃんこんな時間まで走ってて何かと思ったよ」
「ははは」
「……前から思ってたんだけどさ、身体を鍛えて、なんていうかその……やりたいことが、あるの?」

 ヒーロー科への、転入とか。と、後半にくっついているような気がした。
 少し驚いて彼を見返すも、真剣に見つめられて言葉に詰まる。……ヒーローを志しているような姿を見せただろうか、私は。雄英の普通科生徒は確かに転科狙いが多いけれど、熱意もない無個性が成せることでもないだろうに。体育祭だって、別にやる気を見せた覚えはないけどな。普通に序盤で退場したし。不思議に思いつつ、『いや特に』とだけ答える。今度は緑谷くんが意外そうな顔をした。なんでだ。

「鍛えたっていうか、私の場合は必要に迫られてっていうのもあったし…… 今のこれは完全に現実逃避だし」
「現実逃避?」
「ほら、なんか考え事しててさ、わーってなる時ない? 考えすぎないためっていうか」

 言ってから、これは緑谷くんには解らない感覚かもしれないなと思う。案の定ブツブツ言い始めたのに苦笑してペットボトルに口をつけ、――まあ悶々とする経験も……無くはないだろうけど、さすがに。さすがに無くはないだろうけれど、私ほど直接的に悶々とするかというと、……あんまり無さそう。ていうかヒーロー科の恋愛事情どんな感じなんだろう。少なくとも初対面と大して変わらないような女の子に膝の上に乗っかられてお誘いを受けることはあんまり無さそう。そういうのはデビューしてからかな……。プロになってからの方が誘惑が多そうだよねヒーローって。ていうか冷静に考えるとめちゃくちゃ爛れた生活を送ってるな私。いや受けてないから、お誘い受け入れてないから。相当迷ったけど。今もちょっと後悔するほどグラついたけど。やめろせっかく霧散したのにまた考えてどうするんだ。

「緑谷くん、好きな子とかいる?」
「はぇ?!?!」

 なんだその美少女みたいな反応……ぐっときた……。

「えっ、な、悩んでるってそっちで?!」
「悩ん―― まあ、うん、いや、……たぶん……」

 なにか悩んでいると思われていたらしい。確かにそれほど外れてもいない。
 とっさの様子で開かれてすぐに閉じた唇が、『ヴィラン』と言おうとして音にならなかったのを見たけれど、それには気付かなかったことにさせてもらう。そういえばヴィランどうのこうのもあったな。ていうかトガちゃんがそうだし、死柄木さんもいたし。死柄木さん私のことマジなのかなあ……あの人がそう仕向けているわけだし間違いはないだろうけれど、どこかで洗脳解けてほしい。逃亡と戦いの日々で真実の愛を見つけてほしい。なんて、何が真実でどう証明されるものなのかはわからないけれど。私だってトガちゃんに対しての気持ちは大半が甘えだという自覚はある。それが恋や愛に成長することだって無くはない。

(……わからないって言ったら焦凍も、恋愛感情じゃないっていっても心操くんも……何をトチ狂ってんだと、いや良くないな、人の気持ちをトチ狂ってるとか言うのよくないな)
「多分って」
「うん……正直言うと、自分でもよくわかんないんだよね。人を好きになったことは、あるはずなんだけど」

 後半は自分でもわかるほど頼りない声になった。
 顔を向けた緑谷くんに、小さく笑う。人を好きになったことは、ある。前世でだけれど。当時生きていたころは、自覚もできない気持ちだったけれど。好きで好きで憧れで自慢で目標で夢で、傍に行きたくて、少しでも近い存在になりたくて、夢を叶えてほしくて幸福であってほしくて。……あの『好き』が一般的かというと、あんまりそんな気はしない。というか大体の人は生きてるうちに気付くだろう、自分の気持ちに。

「――僕は、ごめん、よくわからないや」
「そう?」
「うん。……今までずっと、というか、今も……夢が遠くて、理想が遠くて」
「うん」
「他のことに、目を向ける余裕、なんて言い方も変だけど、本当に―― 考えられなくて。ただずっと、ヒーローになるためだけに、いた気がする」
「――うん」

 それは、少しわかる。
 先生もきっとそうだった。そういえば『三度目』で先生について考えたときに同様のことで悩んだのだ。好きだと、言ってみたところで先生の中にその価値観はあるのだろうか。弟子への情や優しさや特有の雑さで受け入れてくれたとして、私はそれで納得できるのだろうか。そうして差し出した『好き』は、見事に消えてしまったわけだけれど。

「今ここで勉強できて、訓練できて、理解を示してくれる人がいて、……恵まれてる、すごく。恵まれすぎてる。僕なんかが」

 あ、妙な流れになりそう。と思って剥き出しの腕を撫でると、ピャッと小動物みたいな声が上がった。
 緑谷くん、ちょいちょい可愛いというか幼女っぽいな…… なんか覚えのない感情がざわざわするので控えていただきたいんですけれども……。

「な、なに、」
「腕が立派になったなあと思って。羨ましいよ」

 悪びれず笑って、逃げてしまった腕を眺める。さっきもその一本だけで私の上半身を支えてくれた腕は、彼の印象よりずっとがっしりしている。前は、朝に走るのを見かけていたころは、もう少しひょろひょろしていた気がするんだけどな。

「緑谷くんがつけた筋肉だ」
「……、」
「きみのトレーニングで鍛えられた、きみの筋肉だ。多少の運や体質の差はあれ、思考と行動の結果だ」

 無個性だったからなのだろうか。彼は少し、謙虚というには行き過ぎている気がする。恋やら愛やらを考えられないというのは、もしかしたらそれにも原因があるのかもしれない。可愛いしかっこいいし素敵な子なのに。

「緑谷くんは、もっと図々しくなっていいと思うよ」
「――……、あ、りがとう……」
「うん」

 ほらそうやって目尻を真っ赤にして俯いちゃうとかさあ……私の中のなにかがザワザワするからさあ……。
 緑谷くん笑ってほしいけどちょっと泣かせたい気もする……。意地悪してからかいたい気もする……。いや笑顔が一番ではあるんですけど、なんかこう。色々な表情が見たいっていうか。モノは言い様。

ちゃんは?」
「ん?」
「その、す、好きな人とか急に言うから―― 告白とか、されたのかと」
「………… なんでわかったの?」

 思わず出た台詞に、緑谷くんが小さく笑う。なんとなく、なんだけど。簡単な答えではあったけれど、私はそんなにわかりやすかっただろうか。前どっかのタイミングでも思ったけど、私もしかして顔とか態度に出るタイプ……? ミステリアスな女を目指してるんだけどな。嘘です適当言いました。
 目を逸らすみたいに空へ視線をやってしまった緑谷くんにつられて、同じように首を上へ向ける。降ってくるような、とは言えないまでも、充分な明るさの星が瞬いている。
 それを眺めているうちに、自然と話し始めていた。

「…… 前、ずっと前、人を好きになったことがあるんだけど」

 そういえば、誰かにそんな風に話したことは、なかったかもしれない。
 酔っぱらいの戯言を装って吐き出したことはある。欠片にもならない一部分の結論だけを、口にしたこともある。けれどこんなふうに、はっきりと先生を好きだと口にしたことは無かったかもしれない。言ったと同時に引き絞られるように胸が痛み、ベンチに置いた手に力を入れていた。緑谷くんは一瞬だけこっちを見て、また空に視線を戻す。

「うん」
「好きだって言えなかった」
「え…… そ、そう、なんだ」

 動いた首が、几帳面に上へと戻った。顔を見ないようにしてくれているようだ。――そういえば前、もう本当にずっと前のことのように感じるけれど、彼の背中を借りたことがあった。落ち着かなさそうにしながら、じっと待ってくれていた。

「うん――言えないまま終わっちゃって、その人にはもう永遠に会えなくて、でも、私はたぶん言えなかったことを後悔はしてないんだ。たぶん、時間が戻っても同じことをする」

 もしも三度目に戻れたらどうするだろう、一度目に戻れたらどうするだろう。死が確定的なものになる前に、あの場へいられたとしたら。
 ……多分、やることはあまり変わらない。私は先生を引き留めないだろうし、誰かが気を利かせてくれたとしてもそれを無にしてしまうに違いない。先生、誰より、ヒーローでいてください。私の信じたあなたでいてください。献身のふりをしたエゴの中でしか、私は自分でいられなかった。私は、そう、ありたかった。

「好きだけど、大好きだけど、……まあなんていうのかな、相手にされてないことが前提って感じではあったから」
「あ、相手にされてないって……」
「いや、そのひとも色恋にあんまり興味を示さないっていうか、恋愛感情ってご存知? って感じでさあ。……これも強がりかもしれないんだけどね」

 少し笑う。たとえ好きだと言えたところで、叶う恋だったとは思えない。当時の、話だ。今はもうわからない。人は変わるし、何かを知ることだってある。主体的でなかったとしても先生に強烈に恋をする誰かが現れたとして、絆される可能性だって無くもない。変化はあるんだ。……生きている限りは。
 死人の私には、訪れないものがある。

「……もしかしたら、今は――恋人がいたり、するのかもしれない……」
「…………」

 悲しい。寂しい。悔しい。切ない。
 変わらないでほしい。
 私の身勝手な想いを置き去りにして、時間は過ぎる。世界は既に隔たれた。それを、よかったとも思えることに、安心している。先生、私に、あなたを縛り付けるような力が無くてよかった。

「勇気がなかったって言ったら本当にそうなんだけどね」

 視線を感じ、緑谷くんに笑顔を向ける。なんでか傷付いたような顔をする彼の肩をたたく。優しいのはいいことだけど、心を重ねてくれるのはありがたいけれど、あんまりそんなことをしてたら緑谷くんが消耗してしまう。

「……だから、すごいなって思うよ。相手に好きだって言える人のこと」

 焦凍の『好きだ』を現実のものとして捉えた瞬間、感じたのは純粋な関心だった。
 何度も言うけど相手は双子の姉で、これまで歪んでいた関係をどうにか改善しようって時で、九割がた受け入れられることは無いだろうし家庭状況を振り返ればいくらでも悲惨な展開は繰り広げられる。もしも受け入れられたところで障害は消えはしない、ていうかむしろ増える。それでも、隠すのでも変えるのでも――殺すのでもなく――告げることを選んだ。
 私が、死んでもできなかったことだ。

「……『いつ言えなくなるかわからない』とか言うんだよ。それは、確かにそうだけどさ、……人は結構あっさり死ぬし。死ななくても、会えなくなることなんかしょっちゅうあるし。でもやっぱ、……すごいなって思う」

 そういえば聞かなかった。あの子は怖くなかったんだろうか。これまでの全部を壊すことを、これからがどうなるかも解らないことを。私からすればどうせ三年後には途絶える縁だしという気持ちがあるけれど、エンデヴァーさんとの関係を改善しつつあり兄や姉ともまともに付き合い始めた焦凍としては、壊したくないところではないのだろうか。わかっちゃいなかったのか、わかったうえで、それなのか。

ちゃんは――その告白に、応える気でいるの?」
「え」

 予想外な返事があった。
 緑谷くんは意外なほど真面目な顔をして、じっとこっちを見つめている。ベンチに置いた手の上に彼の手が重なり、しかし彼がそれを意識している様子はない。無意識下で逃がさないようにしているのだろうか。わかってたけど、たまにちょっと怖いな緑谷くん。
 真剣に問われているようなので少し考える。応える気でいるのか。焦凍の告白に?

「…………」

 嫌いか、と言われれば、……そんなことはない。多分。いろいろな意味で思い入れの深い相手ではある。同じ気持ちを向けられるかどうかはともかく――あと信じたとはいえ未だよくわかっていない自覚はある――議論する余地もない、ってことは無いだろう。おそらく多分。焦凍がどんなつもりでどれだけ本気で、どういうつもりなのかは知らないけれど。

「……無くはない……のかな……」

 あっ、この言い方すごくいい加減な女みたいな気がする。ちょっと嫌だ。

「いや、あのね、失礼ながら彼を恋愛対象として見たことが無くてね? じゃあ今から見てくれって言われても急に視点は変えられないしさ、そもそも好きだとしか言われ、…………」

 俺のものになってくれって言われたな。
 付き合ってくれでもなく、俺のものになってくれって。やはり色々なにかを間違えているのでは……? それか死柄木さんと同じくペット扱い……? さすがにそれはないと思うけど、思いたいけど、……本人に確認……はやっぱり藪をつついてしまうような気がする。

「……ちゃん?」
「うん、……そんなわけで……せめて、なんていうか、……どういう気持ちなのかなあって思ってね……」

 着地点を見失った。
 しどろもどろにしか話せていない私に対し、緑谷くんの視線がどんどん呆れたようなものになっていっている気がするけれど、気のせいであってくれ。緑谷くんに呆れられるのは結構ダメージがでかい。ショック。



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2020.05.20