こんな個性だから、女子には避けられることの方が多かった。

 ――義理ぐらい別にあげてもいいけど、下手なことして勘違いされたらたまったもんじゃないし。怒らせるのも厄介だし。
 ――男子同士も色々あるだろうし、今年はバレンタイン無しにしようよ。

 それを聞いたのは何年前だっただろう。中一だったような気もするし、小学校の高学年だったような気もする。

 ――悪い奴じゃないけどねえ。
 ――わかんないじゃん実際。じゃあアンタあげれば? 私は関わりたくないけど。

 扉一枚向こうで話していた女子数人が、誰だったのかわからないし、たぶん名前や顔を見ても上手く思い出せない。
 それほどまでに、関わりが無かった。ただまあ、そうだろうなと――納得と、なにか、重くてスカスカした気持ちがあった。

 ヒーローになりたい。不向きだと笑われながら抱いた夢を追い続けるなら、他のことに関わっている暇なんて本来は無い。だから別にいいんだ、大丈夫だ、言い分にも納得できる。そうして甘い匂いと笑い声と、その奥にある冷ややかさに背を向けてきた。

 気にすることじゃない。必要なものでもない。
 誰が告白しただの、誰と誰がくっついただの、別に、どうとも。

 ――ずっとそうして聞かないふりをしてきた。去年まで、ずっと。


「しーんそーうくーん!! ハッピーバレンタイン!!」

 教室に入るなり、押し付けるように差し出された小さな紙袋を反射的に受け取る。たまたま隣に立っていた男子も同様に差し出され、同じように受け取ったのが見えた。両者に全く同じ袋を押し付けた轟はというと、教室の反対側に居た女子に呼ばれてすぐに去っていった。

「ムードも何もねえなあ」

 隣の男子がへらへら笑う。クラス中の生徒にそうしているのか、そこかしこの机に同じ袋が乗っていた。見れば女子同士でもチョコレートの交換があるらしく、同じ袋を大量に抱えている。
 かたまって何やら話している女子のうち一人が気付き、タッパーを片手に近付いてきた。

「心操おはよー、ハピバー」
「なんだこれ」
「生チョコ。セルフスタイル」
「勘違いしようのない義理……」
「俺にも俺にも」

 爪楊枝の刺さった生チョコのひとつを口に入れる。濃い甘みに奥の歯がじんとする。他の男子も無遠慮に食べ、これお返しとかどうすりゃいいんだよ、とうんざりしている様子を装った楽しげな声で言った。三倍返しってやつに決まってんじゃん。これの三倍ってなんだよ、チュッパとかか。コーラ味ね。いいのかチュッパで。

「心操くん、おはよう。はいこれ」
「ん、あ、ありがと……」
「あ、私もー」

 顔見知りの女子が同様に小さな袋を差し出してくる。手作りらしいクッキーを二枚か三枚包んだ袋。トリュフの入ったもの、名前の書かれたチロル、ウケ狙いのような駄菓子が次々にやってきて、心操の手にも机にも運ばれる。それに伴う祝いの言葉や笑い声が、教室中に溢れ返る。やべえ、めっちゃ貰った。モテ期じゃん俺ら。男子の一人が肩をぶつけてくる。
 ほんの一年前まで、触れることもなかった温度。

「おっかえりー、大漁じゃん心操くん。このイケメンめ」
「……どうしたんだよ女子」
「いやあ、お祭り騒ぎみたいなもんでしょ。たまには楽しくていいじゃない」

 席へ向かうと、既に隣に座っていた轟がチョコレート菓子の山を紙袋にまとめていた。
 心操くんも使う? 予備らしい紙袋を差し出され、大人しく受け取る。女子達はこの状況を察知していたらしく、ほとんどが余分に袋を持っている。

「お返しとかは気にしないでね、男子が似たようなことしてくれればいいから」
「むしろハードル高えよ……」
「大袋でいいんだって。気持ちじゃん問題は」
「気持ち」
「そう。いつもありがとう、の気持ち。ね」

 机の上に乗ったままの――轟から心操へ渡された小さな紙袋をつんと指先で押して、笑う。
 いつもありがとうの気持ち。

 ――勘違いされたらたまったもんじゃないし。
 ――怒らせても厄介だし。

 同じ年で、同じ性別で、同じような音程を持っているはずの声が、記憶にあるのと全く違う言葉を紡ぐ。

「女子みんなで手作りしようかって話もあったんだけど、お互い交換したいよねーっていう話になって、これ」
「ああ……」

 クッキー、トリュフ、ブラウニー、心操には名称のわからないあれこれを、これとか作るの難しいんだよ、すごいよねえ、とひとつひとつ説明する。そして彼女の机には、きっとこの教室で誰よりお菓子が乗っている。

「……轟が言いだしただろ、交換会って」
「え? ……いや、言ってないよ。私がどこまで配ろうかなーって話したのが切欠のような気はするけど。なんで?」
「いや」

 いつも笑っている。いつも明るく、元気でいる。誰にも物怖じせず話しかけて、たぶん一番避けられがちな心操の傍にいる。
 彼女の言う『いつもありがとうの気持ち』は、彼女のもとに一番多く集まっている。
 去年までは触れなかったものだ。想像もできなかったことだ。男子も女子も何人もがこうして話して、お菓子を感謝の媒体にして交換し合って。視界に映る誰もが、笑っていて。その輪から誰もはみ出ていない。

「なんとなく、こういうの始めるのは轟だろ」
「そうかなー」

 お菓子の袋をガサガサ言わせながら机の脇に提げている本人は、きっと正しい意味なんか知らない。きっとそれでいいのだろう。
 心操が今ひどく穏やかで、なんでか少し泣きたいような気持でいるのも、数年前に聞いたあの声が、この時期になるたびにぼんやり蘇っていたあの声が、不思議と遠くなっているのも。あの重くスカスカした気持ちを、忘れられそうな気がするのも。轟が心操に、このクラスに及ぼした変化も、価値も。受け取った者だけがしっかり解っていれば、それでいい。

「……ホワイトデーっつったら飴かな。轟どんなん好き?」
「私だいたい何でも好き」
「それは何となく知ってっけど」
「まあでも数があるとお金的な意味で大変だから手作りがいいんじゃないかな。クッキー簡単だよ」
「そういう理由で手作りが多いのか」
「見栄えをよくするコツはラッピングを真面目にすること!」
「そういう理由か」

 配られたものは確かに手作りが多い。そしてラッピングがしっかりしている。女子の世界は奥深いな、と呟くと何がツボにはまったのか楽しげにけらけら笑った。

「合理と愛情の融合だよ」
「……のわりに轟は市販じゃん」
「ん、あ、うーん」

 一瞬。ちらと視線を彷徨わせた轟が、『まあほら、無個性だから』と小さく呟く。
 意味がわからず真顔になった心操に、いやあ普段お菓子とか作らないからね! 自信なくて! 妙に大声で言って、聞きつけた誰かから『轟って料理とかニガテそー』と声が飛んでくる。うるせえわ! 即座に言い返して、またそこで少し笑う。

 無個性だから。
 そう言った声は、咄嗟に嘘が付けなかったように聞こえた。

「……」

 催促するつもりで、じっと見つめる。
 お互い言葉が少なくても言いたいことがわかるようになってきた。轟は少し困ったように周囲を見回し、上半身を心操に寄せ、空気だけで『内緒だからね』と云ったようだった――授業開始前、未だ騒がしい教室の、ほんの一角。その隙間に隠すようにして。

「……『無個性が伝染る』とか、気にする子もいたんだよ」
「…………」
「……そんなこと言ったらウチの父親と弟はほぼ毎日食べてるわけだけどね、まあ気分の問題じゃん?」

 苦笑して見せたが、なんとなくわかる。轟が自供したことは、たぶん多大に婉曲――優しく穏やかに、言い換えられている。そしてそれは、おそらく一度はあったことだ。……最低一度は、手作りのお菓子を差し出して、そんなふうに言われたことがあったのだ。
 無個性が伝染る。
 まるで性質の悪い病気のように言われて振り払われた甘いものが――受け取られなかった『ありがとう』が、いつか確かに存在したのだろう。

「…………」

 無個性を無個性というだけで蔑む子供。
 個性を、個性というだけで避ける誰か。本人としては悪気がないつもりの悪意。
 途方に暮れる小学生の少女を、当時ちっとも知らなかった轟の姿を、見たような気がした。あの日の自分と同じように、蔑まれていた子供を。

「…… むっかつく」
「だからあんまり言いたくなかったんだよぉ……」
「ムカつくから来年は手作りでよろしく」
「え? ん? 聞いてた?」
「聞いてた。し、俺もホワイトデーはクッキー作る」

 腹が立った。他人事ながらムカついた。
 そうして今、たった今になって気付いたことではあるけれど――たぶん、傷付いていた。

 ――勘違いされたらたまったもんじゃないし。
 ――私は関わりたくない。

 傷ついていた。悲しかった。それを認めることもできないくらい、悔しかった。
 納得したつもりで、ことを荒立てたくないだけで、言い返すこともできなかったあの日の自分。おそらく同じように、もしかしたら悪意をぶつけてきた本人にさえ取り繕うような笑顔を向けたかもしれない彼女。
 あの日の重くてスカスカした失望。そんなもんだよなと受け入れ、諦めて、飲み込まなくちゃいけなかった気持ち。

「突っ返されたらよこせよ、俺が全部食う」
「……」
「そのかわり俺のクッキーも余ったら全部食えよ。言っとくけどお菓子とか作ったことないからな俺」
「……、心操くんはさあ…… ほんっと、そういう……そういうとこやぞ」
「なにが」
「……ううん。……私ステンドグラスクッキーがいいな! 二重になってるやつ! スノードームみたいになってるやつ!」
「よくわかんねえけど難易度高そうなのやめろ」
「ひひ、うそうそ、嬉しいよ」

 どんなのでも、嬉しいよ。
 囁くような、噛み締めるような声が、届く位置にいる。たぶん他の誰にも聞こえなかった声を、聞き取れる位置にいるんだ。

 二月の十四日も三月の十四日も、きっとこれからは今日を思い出すようになっていく。
 なんとなく避けてきた甘い匂いを、いとおしく思えるような気がした。



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2020.02.12